うわっと叫びたくなるような、むしろ忌避したくなる路地が京都にはある。
このリド商店街も、安飲み屋がつらなる忌避したくなる路地である。はしご酒で飲んでいなければ、こういう飲み屋街に立ち寄る勇気はない。といってとくに危ないわけではなく、普通のサラリーマンがゆく安飲み屋街である。
その存在が恐ろしく古くさい。南北に長い古い木造住宅の一階を路地が貫き、その両サイドが飲み屋街というわけだ。いつまで残っているかはわからない風景である。
意外に京都は、昭和を引きずっているような古くさい風景が多い。まだ市内に戦前の民家が2万5千戸はあるという話を聞いた。徹底して古い物を使い回す街である。それだけに被写体も多いのではと思われる。
それ以前に京都人の中に、都は京都であるという意識は根強い。1200年も都として栄えてきたのだから、いまさら江戸・東京400年が、がたがた言ってもも始まらない。
都市というのが混沌の世界を必須とすれば、1200年も混沌とした都市をやってきたわけだ。その間には、京都の街が全部消失したという戦災もある。応仁の乱がそれである。現代という混沌の要素がさらに加わり、今も街はさらなる混沌の世界なのかも知れない。
この画像のような風景に接すると都市は、混沌としながらも生きているという感傷的な気分にもなる。
京都駅周辺,2012年2月20日
OLYMPUS PEN E-PM1,M ZUIKO DIGITAL12mm/f2.0
ISO2500,露出補正±0,f2.1/60,ラフモノクローム
このリド商店街も、安飲み屋がつらなる忌避したくなる路地である。はしご酒で飲んでいなければ、こういう飲み屋街に立ち寄る勇気はない。といってとくに危ないわけではなく、普通のサラリーマンがゆく安飲み屋街である。
その存在が恐ろしく古くさい。南北に長い古い木造住宅の一階を路地が貫き、その両サイドが飲み屋街というわけだ。いつまで残っているかはわからない風景である。
意外に京都は、昭和を引きずっているような古くさい風景が多い。まだ市内に戦前の民家が2万5千戸はあるという話を聞いた。徹底して古い物を使い回す街である。それだけに被写体も多いのではと思われる。
それ以前に京都人の中に、都は京都であるという意識は根強い。1200年も都として栄えてきたのだから、いまさら江戸・東京400年が、がたがた言ってもも始まらない。
都市というのが混沌の世界を必須とすれば、1200年も混沌とした都市をやってきたわけだ。その間には、京都の街が全部消失したという戦災もある。応仁の乱がそれである。現代という混沌の要素がさらに加わり、今も街はさらなる混沌の世界なのかも知れない。
この画像のような風景に接すると都市は、混沌としながらも生きているという感傷的な気分にもなる。
京都駅周辺,2012年2月20日
OLYMPUS PEN E-PM1,M ZUIKO DIGITAL12mm/f2.0
ISO2500,露出補正±0,f2.1/60,ラフモノクローム