久しぶりにEOSのブログ。前回は2月19日で中国中旬のお坊さんのピースサインだった。それも随分古い過去画像。つまり最近フィールド調査に行くことがないからEOSを使う機会が少ない。まだ研究者NOが残っているので、フィールドへ行ける企画をたてようと文科省科研費の応募原稿草案などをちらちらと考えているが、たまには機材を使い回して動かしておこうというので、今日は重たいEOSで。
ふと思いついた言葉に「清貧」がある。小学館日本国語大辞典によれば「貧乏だが心が清らかであり行いが潔白であること、俗世間にへつらわず、貧乏で節操を守っていること、貞享版沙石集-8.16清貧は常に楽しみ、濁富は恒に愁ふと云々」と書かれてある。清貧の英語を探すと"Poverty"があるが、これは貧困そのものであり、日本語の心が清らかで・・という状態ではない。つまり清貧の英語訳はないから、清貧は日本人固有の意識なのだろう。
というのも日本の歴史のなかで難民という言葉が存在しない。ここでいう難民とは、民自らの判断で国をすてて他国へ脱出することと定義するが、そうした歴史が日本史の中では存在していない。だからシリア難民と報道されてもピンとこないこともあるのだろう。
つまり民自らが国を捨てて他国へゆかざるを得ない状況が日本の歴史の中には存在していないか、あるいはじっと我慢していたかなのである。つまりそうしたじっと我慢の背後にあるのが清貧思想の浸透という考え方もできよう。
今でも清貧思想は生きていて、まあ資本形成は適わなかったけど、そこそこにくらせればいいさという今の大方の人生観かもしれない。
最近の我が国の2017年度の国際収支が毎日新聞1面の片隅で報じられていた。日経新聞電子版の記事で補足すると、第1次所得20兆円弱が海外子会社、あるいは巨大ファンド、さらには個人ファンドなどの配当金による直接投資収益。貿易黒字額が4兆5千億円、その他の観光収入で8000億円程度と記憶している。つまり昔教わった加工貿易ではなく投資で稼ぐ日本経済の構造に変わってきている。
さてこの20兆円の直接投資収益の分母がわからないので、世界での水準が不明だ。多分大変僅かな額だと類推しているが、そこを毎日新聞1面をつかって解明してくれたら記事をしっかり読んだのだが、1面には加計問題で言ったか、言わなかったか、などと子供の議論ばかりであり、要は経済構造が変わってきているときにそんな些末な事はどうでもいいのよ。それよりか国際収支の20兆円が世界経済に占める意味を知りたかったし、海外の諸国ではそれがどうなっていたかを1面全部の紙面で伝えてほしかったのだが、まったく編集主幹の記事の選択が古すぎるよ。
毎日新聞の欄外をみると世界経済文化講座の案内があり、現代人の知的欲求に応えようとしている。しかし知識というのは、知的欲求に応えさすればよいというものではない。やはり個人の価値や利益などに直接つながる方法論をしめさないと学ぶ意味がない。それが知的満足が得られればよしとする教養的文化系発想では、あかんでしょう。今時の人間が教養だけでは満足できないと思うよ。ここにも心が安らかになればよいとする清貧思想が働いているのではないか。
そんなことをしている間に、世界では多額の資金が行き場を求めて地球上を走り回っているが、すくなくとも日本は素通りしているだろう。清貧という概念が英語圏で存在しない以上、世界はとても貪欲なのだ。
つらつらとそんなことを考えていた。
2018年5月17日 京都市中京区大宮通錦小路西入
EOS1DsMark3,EF50mm/F1.8
ISO200,露出補正0,f/11,1/250