さて荒神口の法務局まで出向いたりと雑用で街を徘徊していたら、梅雨時の湿度の高さにはまいったので、帰ると早速風呂に入りウィスキーをなめながらだから何も思いつかない。こりゃ京都も完全な梅雨だわさ。
そういうときは手元の新聞からヒントを拾おう。日経MJの6月4日号では、民泊志向の外国人旅行者の民泊利用者へのアンケート調査で、民泊を選んだ理由の第一にあげているのが、「一般家庭の日常生活を体験したい-70%」であった。昭和のバブル時代には、旅は非日常的体験をうたっていた。すでに非日常体験を観光プロモーションする時代は終わったわけである。今旅は、日常的な経験になってきた。
日本の民泊に泊まり、スーバーで買い物をし、商店街のそば屋でパーティーだったりする、つまり日本人と同じ体験をしたいとするのが、最近の外国人の旅の傾向だと報じている。
私にいわせれば、それこそが旅である。私も海外では、地元の人間が毎日食べにゆく食堂へ出向き同じモノを食べてきた。ウクライナの朝早くからやっているカフェなんかパンが大きく美味しかったし、中国では少し油はきついけど地元料理は美味しいではないか、香港の地元民が大挙している裏通りの定食屋なんか美味だったし、まあそんな料理ばかり食べていると、突然ファーストフードが食べたくなる。だから肯徳基(ケンタッキー)の看板をみると浮き足たってくるし、サイパンでMacDonald'sの看板をみるとおきまりツァーなんかほったらかして食べにでかけた。そして、これも旨いではないかと再発見する。外国にいても母国にいても、つねに日常感覚だ。
そういえば今朝、七条米浜郵便局で私の前の外国人達が大きな段ボールを本国に送ろうとしていた。海外発送に郵便局員が手慣れていなかったので、みんなでかかりっきりの対応をしていた。今日で日本を去るそうだ。こんな観光地でもない郵便局にくるとは、このあたりの民泊に長逗留していたのだろう。うーーん、うちは400円の郵便為替がほしいだけなのにさっ。
クロッキー帳NO36.