水曜日は、頭がカキーンと金属的な鈍痛だった。つまり偏頭痛だった。そこで夜遅くまで仕事をし眠くなった夜更け頃に寝た。木曜日は当然午前中は寝てる。ここが頭痛を治すために重要な時間なのだ。
そういうときに玄関のチャイムが鳴る。郵便屋が東京からの書留を持ってきたのだろう。郵便屋に体調をあわす気分ではないので、そのままスルーした。おかげて偏頭痛は快方に向かう。
さて郵便屋の不在連絡票をみる。相変わらず見にくい。最初に「1.PC・携帯・スマホ受付」だって。PCと最初にくるからには、次にURLが続かないとあかんのだが、3段目に小さく書いてある。まあGoogleでひけばすぐに郵便サイトが出るか。次に24時間自動電話受付のNOが書いてある。それが固定電話の番号なのだ。1の項目には固定電話というタイトルは登場しない。つまり不整合だ。その下に小さく携帯電話の番号があった。「1.PC、携帯、スマホ受付」と記載したから、本来は携帯の番号が先にこないと整合性がとれない。
だから携帯で電話し、いわれるままに23桁の番号を入力した。これで14時〜17時まで家にいなければならないことになる。家にいる確証はないけどな。例えば近隣の町民が一寸街灯がトラブルだよといって近所の電気屋に出かけたすきに郵便屋が再配達をしにくるという類いの悲劇はこれまでに何回も経験した。
いつもは中央郵便局止めにしておくのだが、今日は暑いし例のお勉強もあるので家に届けてもらおう。そんなわけで早めにマックで昼飯を食べ、コンビニで飲み物とお菓子を調達し、郵便屋の再配達に備えなければならない。届く郵便物は、定型封筒に書類が1枚はいっただけなのだ。日本の郵便物はほぼ確実に届くのだから、書留なんていう制度は廃止してもよい。そうすれば役所も書留にこだわる必要がなくなる。あるいは近所の郵便局止めがいいよな。歩いてゆける範囲に郵便局が3カ所もあるんだぜ。
大体郵便屋が訪れるときに相手は在宅しているという使用人を多く抱える明治の頃からの大前提が、そもそもの間違いなのだ。今は原則として誰もおらんのよね。だからさっさと制度を変えればよいのに。そんなことを考えていると、また偏頭痛になりそうだ。まったく頭痛のたねの郵便物。
2018年6月12日、京都市下京区
FUJI FinepixS5、Carl Zeiss Distagonf2.8/25mmT*
ISO200,露出補正-0.3,f/4,1/400