おごった言い方をすると、今日本で行きたいところがない。
例えば、桜?。京都に住んでいるからね、特に他の地にゆきたいとは思わんよ。じゃあ紅葉?。北アルプス涸沢の紅葉を何回も見たから他をみたいとは思わない。じゃあアンダーグラウンドな街は?。アンダーグラウンドな街が今はないよ・・・・・。
これまで仕事やフィールドワークなどで出向いたことがない県をあげると、鹿児島県、宮崎県、鳥取県、山形県ぐらいだ。大なり小なり一度は出向いたことがあるところが多い。狭い国土だから地勢的な変化が特に大きいわけではない。
つまり不幸なことにあえて目的を持って訪れたいところがないわけだ。あとは人間的なつながり方だけだ。そうなると今度は突然ギュッと絞られてくる。
でかけるモチベーションがないと、フィールドワークという話は成立しない。出かける意欲がなくなった背後には、街が変わってしまったというのが大きい。みんな小ぎれいにうまれかわり、歴史は観光イベントとして形骸化し、そしてつまらなくなった。そして社会の裏家業もどこかに隠れてしまってみかけることはない。つまり研究テーマが少なくなった。
このブログにもかって仕事で通った青森のカテゴリーを設けているが、最近アップさせるような画像がすくないので、今だにアップさせていない。それが寺山修司がいた昭和の頃の青森だったら、中古のペンタックSPと複数の単焦点レンズをリュックの中に入れて、夜行列車で青森に出かければ町中に被写体があったかもしれないが、残念なことに今そんな青森はすでにない。
そうなると、こちらの考え方を変える必要がありそうだ。WEBでは誰でもがスマホで撮影する日常の画像に軸足がおかれている。そのほうがリアリティがあって良いではないかということになっている。
つまりWEBで発信したり、本で出版したりというモチベーションがあって画像も成立する世界だ。だから私などは水中の撮影機材があれば、あとはスマホカメラでいいじゃんと考えている。
それでいて撮影機材が増えるているのは、どういうことだ。これはジレンマというほかない。
沖縄県渡嘉敷島アリガーケーブル
OLYMPUS E-M1、M,ZUIKO DG FISHEYE8mm/F1.8