図1. なにしろ85mmのレンズだもんで背景をたっぷりぼかしたい。だがそんな風に撮れる空間がない。しかたなかいから、こんなので背景をぼかそう。
図2. この画像をみたとき、まさに黄昏の街という古くさいタイトルを思い出した。しかし、これがかっての日本全国どこにでもみられる一番的な街の姿だったのではないですか。そんなかっての街は美しかった。そして今は既に私達の回りから消えている。私達は近代合理主義を選択し、代わりに美意識を失ったということだ。
図3. 街を撮影していると、いろんな声が聞こえてくる。「あんなー、彼どうなったん・・・」、「それなぁー、三角関係なんやわ・・・」。そんな声が聞こえてきた。そして舞妓さん達が追い越していった。あら!、彼女たちの会話だったのか?。三角関係ねぇー、そんなもんで京女はたじろがないですけどね。
図4. どこかホラー映画に登場するオカルトファミリーみたいに見えたんだけど。街の空間は無関係な人が偶然並んだだけで、様々な意味を持つことがある。なにしろ都市は劇場だそうな。
久しぶりにニコンDfを持ち出した。
あらっ!、オートブラケットの設定はどうしたかとMEMU画面をつつく。しかし夜の暗い街で、そんな設定は不可能よ。ドトール珈琲に落ち着いてようやく設定できたけど撮影は終わっていた。
こういうところは、どんな場合でも機能する使い慣れたEOS1Dシリーズが私には一番使いやすい。今のEOS1Ds mark3のボディに不足を感じたら、次もEOS1Dシリーズですね。それだけのことがある機材でしょう。
今のデジタル機材は、ある程度ブログラム化された設定方法が多い。もちろん設定できれば、それなりの効果があるはずだけど、その設定操作が煩わしい。だからEOS5Dシリーズなどは、露出がとても正確なんですといわれても私は使いたくないわけ。その正確な露出をEOS1Dシリーズに組み込めばいしじゃん、と思うけど。そして今年は次のEOS1Dが登場するかもしれない。少なくとも通信機能は、いまよりははるかによくなっているはずだから、その頃に後継ボディを調達したいですね。
なにしろフィルム機材からデジタル機材にシステムを変えるときにEOSに乗り換えちゃったから、フィールドで使うときはEOS、近所の街歩きはニコンと役割が定まってきたようだ。それまではニコンの代わりがオリンパスだったけど、これは水中機材も含めて処分しちゃった。
撮影機材って、性能よりも使い慣れる、使い慣れることを裏切らない、そうしたデザインが欲しいですね。そうした機材は、いまのところ私にはEOS1Dシリーズ以外にはないですね。
京都市祇園町南側、四条通、2019年3月8日
NikonDf、AF-SNikkor85mm/F1.8G
1)ISO3200, 露出補正-0.67,f/2,1/320
2)ISO3200, 露出補正-0.67,f/2,1/160
3)ISO3200, 露出補正-1,f/1.8,1/200
4)ISO25600, 露出補正-0.33,f/3.2,1/640