桜が咲き始めたのだろうか。
さて、BS1スペシャル「緊急被爆医療の闘い〜誰が命を救うのか〜」(2019年3月10日放映)をみていた。福島第一原発(F1)の事故をはじめとする医療現場の混乱の様相のドキュメンタリーのなかで、私は特にテーマから外れるが2つのことに眼がいった。
1つは、浪江町などからの避難者の放射線量測定の場面で基準値を上げないと大量の人間の測定ができないということがあったことを報じていた。もちろんそれは緊急時の現場の措置だったと報じていた。
2つは、その後に東京消防庁がF1へ消火活動をゆくのに際して、国から「人体が受ける放射線量の安全値を引き上げられないか」とする国の要請があったことを報じていた。
この2つのことの関係性は、テーマの趣旨から外れるので放映されていなかったが、時系列から類推するには、現場の経緯を知らない国の役人の誰かが基準値はあげられるのか、そうだとすれば消火活動の時間がかせげる、じゃ基準値をあげてはどうかと判断したのだろうと考えられた。
私は、いかにも科学の知見を欠いた文科系の人間が考えそうなへ理屈があったなと思ってみていた。ようは国の指揮系統も混乱していたわけだ。
いつも歴史が教えてくれることだが、前代未聞の出来事がおきると必ず対応できない日本の姿がある。そして万事やることなすことが遅いのである。アメリカの9.11のときにすぐさまアメリカ上空を飛ぶ全ての航空機の飛行を禁じたりする対応がとられたが、なぜ日本は、万事やることなすこと、そして決断が遅いのだろうということを考えさせられる。そうした対応の遅さがF1をメルトダウンさせ被害を大いに拡大させてしまった。もちろんメルトダウンを回避できる時間はあったにもかかわらずである。そこが大いに悔やまれる。
本来ならば、F1が全交流電源喪失となったときに、メディアの専門家も私も、即電気を送らないとやばいぞと思っていたから、当然非常用発電機を自衛隊に空輸させる措置がとられていたのかと思っていたら、電源車は震災で渋滞している常磐道にいたというお粗末さだった。現場にいない人間達の危機感の欠落が自体を悪化させる方向に動いた。そこには、地震だったからしょうがないよな、とするいいわけが成立がすればよしとする姿勢、そして地震津波、全交流電源喪失による原子炉の科学的意味がわからない文科系的的対応だったと思われる。
3.11のこの日が来るたびに、自然災害よりも日本人の対応のお粗末さと遅さが事故を拡大したんだということを教訓として思い出す。万事文科系マネージメントにすべてゆだねていないで、もう少し自分で科学を勉強し、科学的物事の見方や考え方を身につけておこうね、と私は教訓にしているけど。
さてさて明日から仕事で東京・沖縄と出張なので、このブログも3月16日まで休みます。
京都市宮川町、祇園南町 2019年3月10日
NikonDf、AF-SNikkor85mm/F1.8G
ISO12800, 露出補正-0.67,f/4,1/2000
ISO12800, 露出補正-1,f/2,1/3200
ISO12800, 露出補正-0.33,f/2.8,1/4000
ISO12800, 露出補正-1,f/11,1/25
ISO12800, 露出補正-0.33,f/2,1/320