図1. 辰巳橋に通じるろーじ
図2. 玄関に通じるろーじ
図3. 通り抜けるろーじ
京都では、路地をろーじと読んでいる。それが街の中に数多く存在している。それも古都魅力の1つを形成している。洋の東西問わずろーじは存在している。例えば小さなテーブルと椅子をだしてカフェテラスにしているモナコの狭い路地がある。しかしそこを利用する人々の意識が異なる。
私がかって名古屋のカフェテラスでみた経験では、表のテラスから座席が埋まってゆく欧米人に対して、店の一番奥から座席が埋まってゆく日本がいた。日本人は路地の奥のさらに店の中の一番奥のテーブルにたどり着いたときに、つまり隠れるような感覚になれたときに落ち着くというわけだ。そんなところが欧米の意識とは大きく異なっている。
そんな欧米人と日本人の意識の違いは何に由来するかという研究もなく、世代が変わり次第に日本人にも欧米的カフェのように利用意識が広まってしまう。
日本の路地は公道はおろか、店の中にまで引き込まれて植栽のあしらいとともに狭さの美学をつくりあげている。要は土地が狭かったので、どうしようかというあたりが出発点なのだろう。
都市計画の視点で見れば、路地こそ排撃すべき対象であり、そんな消防車も入れない狭い道をつくってはアカンという考え方が底流にあるから、意図的に計画されることはなく、道はできるだけ広く真っ直ぐな方がよいのだという計画側の論理があり、建築基準法では4m未満の道は道にあらずという法律もある。
ろーじは、色々な思惑がうごめく面白い空間だ。私が街をデザインすれば、やはりろーじをつくるだろう。奥へ続くろーじは、様々な人々によって多様な意味づけをもって存在してくるからだ。私がろーじにこだわるのも、そうした理由があるからなのだけど。
京都市祇園北町、祇園南町 2019年3月2日
EOS1DsMark3,EF16-35mm/F2.8L USM
ISO1600,焦点距離16mm,露出補正-0.33,f/2.8,1/25
ISO1600,焦点距離16mm,露出補正-0.33,f/2.8,1/30
ISO1600,焦点距離35mm,露出補正-0.33,f/3.2,1/40