ポルトから1時間20分、世界文化遺産ギマランイスだ。さて暑いぞ。夏だからあたりまえか。
先ずはギマランイス城とブラガンサ公爵邸のどちらかを見て街へ降りてこようと考えた。多分城は廃墟だから先ず公爵邸をみよう。1つぐらいは建築を・・・。
ブラガンサ公爵邸の建築の空間構造は、中庭を配して諸室が並べられている点ではリスボンのジェロニモス修道院と同じだが建築様式にフランスの影響があるあたりが少し特異な形態だ。15世紀に建設され、僅か100年しか使われなかった。まあ100年使えば十分か。
さて中庭から見たトップ画像のフランス・ブルゴーニュ風建築ファサードは記憶にある。多分日本建築学会の西洋建築史のテキストにイラストで描かれてあった図版かもしれない。しかし私はこのデザインは田舎くさくて根暗感が漂い嫌いだという記憶なのだが。
それでよくよくみたら教会がある正面をのぞけば、スパン(柱間)が偶数で構成されているところが多いのではないか。だから4の倍数が好きなフランスの影響なのか。
そんなわけで私には、不協和音を発生させた建築だった。まあ一応画像でも撮っておこう。ウワーッ画角が足りない。ならばiPhoneのパノラマ画像で・・・、やだ!、大いに歪んでるじゃん。そうなると小さな超広角単焦点レンズをつけた予備機材がほしいね。
そうそう屋根を見てもらえばわかると思うけど、西洋建築の屋根は小屋組をした木造だ。ちゃんと曲げ材であるボールトの張力を用いて大きな空間にしているあたりは賢いとは思うけど。そのボールトを外すと屋根がドンと落ちるわけ。だからパリのルーブルも焼けて屋根が落ちた。それは当たり前の話。だからすぐに修復できるけど、多分ルーブルは鉄骨柱にするんじゃないかなと推測している。そっちのほうが燃えないし安上がりだし工期も短くて済むので。私は鉄骨案に賛成。
昔、石の西洋、木の東洋、といいきった日本の歴史学者の言説が、いまも混乱を招いている。ちなみに西洋建築は床も木材だからね。まあ何百年ももつ可能性があるのは壁だけ。それとて崩れりゃ終わりだが。だから何百年も持つ建築なんて結果的に廃墟が圧倒的に多い。ブラガンサ公爵邸も16世紀には廃墟になったし、それを復元したのが今の姿。
公爵邸は内部に教会を組み込んでいる点は合理的で面白いけど、教会の外に出たら小学生達のグループと鉢合わせ。思わず自然に手が動き撮影したら先生がきつい顔でにらんでいる。しらんよ、そんなガキ達(笑)。
そうそう、ここは初代ポルトガル国王アルフォンソ・エンリケス生誕の地だから、街の入り口に「ここにポルトガル誕生す」と書かれてある。ポルトガルの心意気というべきか。
さてここで時間をついやしているほど、今日は暇ではない。下に降りて歴史地区を駆け足で回ろう、いや走ろう・・・。
EOS1Ds mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6
トップ)ISO1000,焦点距離28mm,露出補正-0.67,f/14,1/500
2)ISO400,焦点距離28mm,露出補正-0.67,f/8,1/500
iPhon7
3)ISO20,焦点距離3.99mm,露出補正0,f1.8,1/1114
EOS1Ds mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6
4)ISO1600,焦点距離28mm,露出補正-0.33,f8,1/15
5)ISO1000,焦点距離28mm,露出補正0,f/8,1/160
6)ISO200,焦点距離50mm,露出補正-0.33,f/8,1/640