冬は、ダイビングもオフシーズン。それに寒くて、特別の目的でもできない限り、旅に出るという気分でもない。
このブログで毎年冬は、どうしていたんだろうと過去ログをくくると、昨年は、フィルム画像のデジタル化をしたので、このシリーズ、それ以前には、東海道新幹線の関ヶ原の車窓風景が続いていたし、京都の街の画像が続いて、冬を切り抜けていた。この時期は画像も話題も冬枯れである。 デザイン学辞典によれば、ぺルソナ法という製品の調査方法がある。それは仮想の人物像を細かく設定して、製品が実際に使われた場合を想定して利用スタイルを探りシミュレーションをストーリー化しようというものだ。それ自体が小説と同じ手法なのだ。そんなわけで、小説を書くというのは、私にとって特別なことではない。
もう一つ理由があって、二月一杯、仕事で忙殺されている。
だから、このブログもオフ・シーズンだから、お休みでもよいのだが、毎日書く習慣を忘れると、後で面倒になって、書かないかもしれない。13年間書いてきたから、そのリズムは続けたいとは思うが・・・。
そこで「小説:小樽の翆」を書き始めた。冒頭その1でも書いたように、すべて妄想の翆であり、すべてフィクションであるし、私的にいえば前述したペルソナ法の流用である。
学術論文が大きな説であれば、小さな説が小説である。当然そこには、テーマがある。ここでは、少し現代のライフスタイルとは逆のことを考えた。というのも最近フリーアナウンサーが40歳で結婚・出産といった万事が晩婚型社会に対して、早婚型にしたらどうなるか、結婚=出産という制度を外したらどうなるか、といったことである。
そんなテーマで、「小説:小樽の翆」を、できるだけ男と女のフツウーの日常会話や話題であることを意識して書き出した。もちろん仮想の話だからスラスラとかけるので、仕事で忙殺されているときには時間節約に調度よい書き方だ。会話形式にこだわると芝居の台本みたいになるので小説の様式は少し無視している。
さて困ったのが書き出しの動機となった雪の小樽の街の画像である。小樽には、夏に訪れているが、そんな観光地の画像を使う小説ではない。やはり雪の小樽の日常生活の風景がほしいが、あいにく手元にない。だから取材の旅にでかけるチャンス到来だ!。
そんな風に旅の目的ができたし、撮影対象も明確になったので、それこそ旅に出かける格好の機会なのだが、ライブ画像で見る限り、小樽に雪は皆無だった。
最近、ようやく小樽に雪が降り始めたが、忙殺されている仕事がおわり、小樽へ取材の旅に出かける頃まで雪が残っているだろうか、今年ははなはだ心許ない。
そこで、やむを得ないのでイメージ画像を用いるほかない。
そんなわけで、こうした小説スタイルの書き方が意外に面白いと思っている。さらに面白いのは、ブログのフォロワーが変化したことだ。多分失望したといって、さっさとフォロワーを降りたブロガーもいただろう。もともと人や社会から期待されるようなことを、ブログで書く意志はありませんから、それは悪しからずなのだが・・・。
さて、このポルノ小説と恋愛小説の隙間を縫ってゆくような小説スタイルが、しばらく続くかな、多分・・・・。