一寸だけ過去画像をアップさせよう。というのもデスクトップを整理していたら、こんな画像が出てきた。捨てるには忍びないのでブログに活用した。
今日の画像は50年前の東京。トップ都電12,13系統の大久保車庫、2枚目は上野不忍、3枚目は新宿大通り。
個人的に過去画像に興味はない。ただ懐かしいだけでは、それだけの話であり何もクリエイションしないから過去画像への個人的興味は希薄だ。ただ都電の背後に街の様子が映っており、それが相当に変化したことも、また不忍の池の写真のように変わらないこともわかる。都市は変化する、そして時に変化しない。50年という時間がなんらかの意味を形成するかもしれない。
次第に都電の撮影に飽きる頃、背後にある街や人に関心が移っていった。それはごく自然なことだったし、それだけ物事の見方が広がってきたわけだ。そして街へ関心が広がってゆく。当時、撮ろうと思えば新宿は表の顔から退廃的な裏の顔まで持っていた。そして森山大道さんを初めとするコンテンポラリーフォトへの被写体となっていった。そして新宿を記述した作家達の随筆は多い。そんなものに夢中になっていた頃である。新宿という街は、良きにつけ悪しきにつけ多面体だったのである。
大学院を出て就職した会社が西麻布にあった。そう渋谷・青山・六本木という新宿よりは上品で、なによりもクリエイター達がこぞって住んでいる街だ。そのとき新宿という街と決別した。
だから今でも、女子美出身で新宿のジャズ喫茶でバイトしてますなんていわれると、私はまだあの世界があるのかと違和感を感じる。違和感ぐらいならよかったが、こちらは横浜、そして京都と移り住み、東京とも決別した。次は日本と決別するのだろうか。そうやっていくつもの都市や国家と決別しながら、次に向けて流れてゆくというわけだ。
つまりなじんだ物事と決別できるということは、私の意識が前に進んだ。それは単に前に進んだだけだが、人生観として仏教哲学は物事を上から見下ろしている。だから円周をまわって元の座標に戻ってきたではないかと輪廻転生を解く。確かに上から見れば元の位置だが、それはスプリングバネのようにスパイラルだから横から見れば次のサイクル上にある。そう考えればスパイラルの上か下かはわからないが、人生はどちらにせよ流れてゆき続けるノマド的構造を連想する。人間はただただ流れてゆき続ける。そしてもとには戻らない。そう解釈した方がよさそうだ。
東京1967年
Canon6L,50mm/f1.4,NEOPAN SS