このブログを書いている1月7日は、七草粥を食べる習慣が日本にある。京都だからといって特に変わった調理方法があるわけではない。精々昆布でお粥をつくってみるか位の知恵は働くが、やる気分でもない。
午前中所用で街を歩く。透き通った空気と山並み、以前なら撮影機材を持ち出し街の空気を撮っていたが、今年はそんな気分でもない。所詮機材など道具に過ぎない。道具は、例えばEOS3であろうがBMWやベンツであろうが、そんなものは金次第でどうにでもなる程度のものだ。
そこへゆくと、友人、恋人と・・・、人間関係はそうはゆかない。そんなことをクルマ好きにいったら、「いいさぁ、人間なんか煩わしいからいなくてもさ!。俺は一人でクルマを使って素晴らしい自然を堪能するさ!」だって。だけど素晴らしい自然って、そこは道路がないよ。例えば北アルプスの涸沢とか・・・・。所詮道具は、人間がこだわる対象ではない。
このブログも早書きをしている。日記だからといって直近の出来事を綴るルールはない。それより2月のブログもあと1日分余っていたので編集上の都合という理由だ。
それに昨年の小樽の画像ファイルを開いていた事もある。既に冬の北海道にゆく旅程はできているが感染状況が気になる。願わくば私が小樽へ行くまで緊急事態宣言が出ないことを祈る。でなければ全ての予約をキャンセルし憧憬だけで終わる。そんな七草の頃であった。
明日からは、小説:小樽の翠に戻ろう。ドローイングは、パンデミックで家に籠もって時間を潰すのには調度よい。
積丹半島美国
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