50年前の箱根登山鉄道である。
私が教科書の地図帳を見ていて、スイッチバックで峡谷の小さな街をぬって登ってゆく登山電車に興味を持っていた。だから鉄ちゃんに撮りに行こうと提案したと記憶している。鉄ちゃんは、ああそれっ!と気のおけない返事だったが、早朝に待ち合わせ湘南電車で江浦を目指した。午前中は江浦から東京にむかうをブルートレインを、そして午後からは箱根登山鉄道を撮る。この日撮影したのは36枚撮りのフィルム2本だけだから、随分と大切につかっていた。
箱根登山鉄道は80/1,000という急勾配の山岳鉄道という魅力があった。そして何よりもスイッチバックが撮りたいと撮影目的は明快だったが、大体上から俯瞰するわけでもないし動画でもないのに、どうやって撮るんだろうと現場で悩んだ。つまり静止画では、撮りようがなかったのである。写真では、撮れないモノがあるんだと気づいたのもこの頃である。
当時日本の代表機材はニコンFだったが、こちらは金のない高校生、親からのお下がりで当時既に廃盤となっていたキャノ6L+50mm/F1.4。今の私の機材へのこだわりは、このときの潜在意識にすり込まれた劣等感の裏返しだろう。劣等感は憧れの裏返しであり、克服するためには別の分野に興味を持つか、或いは憧れを実現するしか解決方法がないと思われる。その後私は、排他的な写真の世界に嫌気がさしデッサンの世界に進み美大を目指した。つまり写真とは潔く決別。大学に進んでみると写真はグラフィックデザイン分野のツールの1つに過ぎなかった。当時興味はあったけど排他的な写真の世界ではなく、人の縁で建築の世界に進学できたのは幸運だった。
だからネガのデジタルデュープをみると、この年以降の写真が大変少ない。写真から興味が失せた頃だろう。であれば、私が写真に興味を持っていた頃という表題がふさわしい。
その後憧れのニコンFを親のローンで調達し憧れは満たされたが、すでにデザインの表現ツールの1つに過ぎなかったなという認識の方が強かった。今でもそう思っている。絵具の代わりといったらよいか・・・。
箱根1969年
Canon6L,50mm/f1.4,Tri-X400