外国からのビジターも、こんな格好をされると日本の空気そのものだ。普段とは少し違えて美しく装いたいというのは、世界共通の女達の心理なのだろう。それがインターナショナルな空気を醸成してくれる。
インターナショナルと書いて、あら?、と思われた。というのもそれは世界に国境があるから、それを越えることに意味をおいた言葉だ。国境などと言うのは制度的なもので、私達庶民にはあまり関係ないとなれば、インターナショナル等という言葉は最初から存在していなかったし国境も人間が便宜的に設けたものだ。その便宜的な境界というのが実に面倒くさいというのが最近の私の気分である。
そのことはヨーロッパのEU諸国にゆくと国境のない素晴らしさを実感出来る。最初にEU諸国のどこかの国から入国すれば、その先はEU内の何処の国へゆこうと国内にいるのと一緒だ。国をまたいでもパスポートも見せることはないし税関を通過することもない。
後は人間同士大いに交流して親睦や愛を深めなさいというわけだ。それはある種素晴らしい制度だと思われる。だからEU諸国へ出かけた時の私のパスポートには、入出国したフィンランドの押印しかない。
そんなことを考えてゆくと、日本も古代史の時代は多民族国家だった。渡来人達が各所からやってきてつくりあげた国家だ。今また各所から他民族が訪れる時代だ。多民族国家という日本国の将来コンセプトもあり得るだろう。
京都市東山界隈
SONYα6600,E18-135mm/F3.5-5.6.