Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編274.  事務屋的意識

2017年04月15日 | Shonan coast
 日本語は縦書き、外国語は横書きという原則を貫いていれば物事は明快だったのだが、日本語を横書きにしたころから混沌が始まる。横書きは今では一般的なことなので、これは百歩譲って認めるとしても、年号の表記が混沌としてしまった。
 それは横書きの文章で和暦を使う場合だ。実際Wordでは、「平成29年4月15日」といった挿入機能があるし、日本の役所では横書きでも和暦を使う。ところが一般的な社会では、和暦、西暦が混沌としたまま存在している。だから文書の種類や相手に合わせてそれらを使い分けるという珍奇な習慣が身についてしまった。
 工学系の学術論文は、横書きなので西暦を使用する。それは明解さを持っている。だが事務文書になると突然混沌とする。国公立大は和暦、私立大学は西暦、国におもねたければ和暦といった具合にだ。
 私等は、これにあわせて100ページ近い書類を作り直さねばならない。それは実に難儀な作業なのだ。私立大学の友人曰く「西暦になれちゃいましたからねぇー(笑)」。アホいえ、国に書類を出すときは和暦でっせとはいわなかったけど。
 だからせめて学術論文のように、縦書きは和暦、横書きは西暦が原則としておけばシームレスだったのに。ちなみに私の本は横書きなのですべて西暦表記にしている。つまり横書きのときは和暦を使わないという原則があれば、明解さをたもてたのだけど、そのあたりの日本人的つじつま合わせの事務屋的意識が混沌を招いている。
 そうしたつじつま合わせの事務屋的意識で自治体や国が成り立っているといってよいだろう。「しょうがないですね、国の書類ですから和暦でも」にはじまり「しょうがないですね、他国が騒々しいので軍備増強ですかね」にたどりつく。そうして説明しやすい理由やつじつまが合えばなんでもできる国家が成立する。これをつじつま国家とよんでおこう。だから混沌とするのも当然だろう。つじつまとへ理屈があればなんでもできるというのが事務的世界だ。当然つじつまは非論理的でしかない。それを論理的と反論するならば、すべて数値と数式で説明すべきだろう。
 さて今年の京都市内の桜は、ようやく満開。見どころをすぎたところもある。一昨日まで朝晩はダウンコートが必要なほど寒い春だった。それが予報では来週から暑くなりそうな気配だ。来月は初夏だから暦通りに進んでいるわけか。
 「桜の木の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎。今年はこの文句が暗示的である。なぜって、それは隣国の話だけど緊張感を訴えるニュースが出始めた。外務省は渡航自粛を継続している。
 この画像はレフレックス500mmのレンズで撮影したが、当時のミノルタのレンズは大変綺麗だ。

藤沢市江ノ島海岸
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番外編273. 断言!

2017年04月14日 | Shonan coast
ある義務的仕事で、事務屋が作成した様式を用いて原稿を作成している。内容的にはコピペでよいのだが、これが実にくだらない作業なのだ。
 なぜくだらないかというと、例えばPCで作成したリストのような原稿を出版するために本の編集様式に改めようとする場合を想定してみればよい。まともな出版社の校正を受けると、まあ数ページの原稿でも100カ所以上の校正指示を受ける。誤字はないとしても、「,」、「.」、「、」、「。」の用法の不統一とか、かな表記が漢字表記になっていたり( 実はこれが一番多い指摘なのだ)、特に英文が混じると用法不統一が圧倒的に多くなり、それから半角文字詰めなどの元原稿だと編集原稿では半角スペースがとんでもないところにあいてしまい、しかもそれがわかりにくいところに発生するとか、などなどあげたらきりがない。
 例えば今日のブログ原稿でも本にしようとした場合、編集校正ではすくなくても20カ所ぐらいの指摘を受ける場合もあるだろう。
 そうした編集の基本的知識がないまま事務屋がWordで書式をつくり、これに書き込んでくれというのが実に腹立たしい。しかもWordで表組された様式にテキストを詰めると、表が分割されとんでもないところでページが飛んだりして後の調整が実に大変なのである。
 本来Wordは英文を書くために開発されたソフトであって表組をするソフトではない。これで日本語を書くなんていうのは論外である。しかもWordで1ページに余白のないの表組をするというとんでもないことを日本の役所や企業が日常的にやっているのだから驚きである。当然手書きの方が早いにもかかわらず、手間はかかっても電子化すればよいという大変効率の悪いことが日常的かつ一般的に行われている。
 解決策は、表組をやめ英文のように行書きにすればよいか、表組をしてどうしても紙代を低減したいという貧乏人根性を発揮したければIndesignを使えばよい。
(ついでにいうとその表組も本にするときはすべてIllustratorで作り直しなんだけどさ)
 だから日本のすべての事務屋にいっておく。Wordで日本語書類をつくるのはやめなさい。Wordがお好きならば英文で書きなさい。もし日本語で表組した書類をつくるのであればIndesignやIllusrratorを使うべきであると断言しておく。学識経験者あるいは名誉教授の断言!、といってもよい。

鎌倉市コジキ浜
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EOSな日83.  プータロー暮らし

2017年04月13日 | Shonan coast
 名誉教授になってしまうと大学の教員は卒業です、と言われているみたいだ。そうなると次なる目標がない。  
 これが文科系なら市長や代議士を目指すという道もあるが、芸術系ではせいぜい本を書く位の目標しかない。もう少し積極的に考えても建築家とか、都市計画家とかを名乗るほかなさそうだ。それも面倒くさい、いや嘘くさい目標だ。といってまた大学の先生というのも、同じことを二度やる意欲がわくかなぁー。だから今はプータロー暮らしといっておくほうがよさそうだ。少なくとも時間を気にしないですむのはありがたい。
 そんなわけで大学から持ってきた書類や本の整理とWEBの立ち上げ方の勉強をマイペースではなく、ローペースでやっている。つまり義務的雑用だ。そろそろこのブログも機材は整ったので臨時使用のiMacが壊れないうちに新しくしたいところだ。
 横浜時代にほとんどの仕事を自宅でやっていたこともあり(当然大学には週1日しか行かなかったときもあった)、突然家暮らしといってもすんなり元の生活に戻ってしまっただけ。さしあたりいくつかの義務的雑用を片付けて来月はダイビングに行こうと目論む。それぐらいの気分転換をしないと意欲が立ち上がらない。
 さて明日は、義務的雑用の二つ位を集中的に片付けようと目論む。そう決めておかないとズルズルとサボりそうだ。

2007年9月5日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離400mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/1250
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EOSな日82. 春の嵐

2017年04月12日 | Shonan coast
 月曜日から火曜日の京都では、夜半に風がうなりあげ吹きあれていた。春の嵐である。うなりは今朝まで続いていた。遠くからホラ貝の響きが聞こえる。延暦寺の修行僧が行の一つとして街の寺々を回っているのだろうか。春の嵐の中を修行僧が行く光景は和歌の題材にもなりそうだ。
 町内に横2.4mほどの掲示板がある。昨日市から来たポスターを貼ったら今朝は風で全部飛ばされていた。綺麗になって丁度よいではないか。これから満開を迎える桜もこの風で散ってしまっただろう。これも和歌の題材になりそうだ。だれかが読んでいたな、そんな京都である。 
 話題は変わり、2003年にキャノンから廉価版630万画素の本格的デジタル一眼レフ初代のEOS Kiss Digitalが発売された。今みても個性あるデザインで、他社を慌てさせたほどのキャノンの力作であり、当時の価格で12万円。この機材に解像力の良いEF100-400mmのレンズを付け、フルサイズ換算では焦点距離が600mmとなり使い回しやすく、一脚に乗せると俄然機動力が向上し、オートフォーカスのため歩留まりが向上した。秒2.5コマの連射が丁度良い。それより早いと人間の目が追いつかない。
 以来旅必携機材となり、シャッターユニットを交換するほどに酷使し、湘南海岸の塩分をたっぷり吸い込みボディのコーティングがはがれ落ちたが、今でも使える状態だ。売っても1000円にもならないが、ブログの画像をみると大きな欠点があるわけではないから、今でも使える。
 今は、そんな中古のデジタル一眼レフが中学生のお小遣い程度で調達できるが、彼らの関心を集めることはない。
 この機材を使いだした頃から、私はフィルムニコンからデジタルキャノンへ乗り換えていったわけだが、それまでの長く大切に使うという考え方も一緒にはがれ落ちていった。使わなければゴミ!、今はそんな気分が支配的だ。ゴミを大量生産して日本は成長したのか・・・。

2007年9月5日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離400mm,露出補正-0.33,f/5.6,1/1000
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番外編272. 錫の酒器

2017年04月11日 | Shonan coast
 京都は、最近雨と曇天が続く桜の季節である。まあ平和な時間が流れてゆく。こちらは雑用ばかりに追われている。
 部屋は本と画材と機材で混沌とし、デスクの上は4台のMacのケーブルが走り回り、多くのハードディスクやメモリーが無数に散らばり、相変わらずEPSONのプリンターは無線LANができないので有線で混乱に拍車をかけてくれる。何!、今時CDで回覧かよ。ドライブは持っていたか?、なんでライツのレンズが転がってんのよ・・・、日増しに混沌としてくる。
 もう二ヶ月もそんな雑用をしているとそこそこ愛想がつきる。整然としたたアトリエで、OGの守田がくれた錫の酒器で人生はかくありなんと酒を飲む時間をイメージしているのだか。
 そうだもうこれで仕事の合間の昼酒をしちゃおう。昼酒には丁度良い量だ。少しずしりと重さを感じる小さな錫の酒器にスコッチと氷をいれてクビッといっちゃう。
 リンと冷たく痛いぐらいの感触が手に伝わり、チビリと飲むスコッチはうまいではないか。あいつは松本にいるんだな。今私はダイビングに没頭していて山を歩かないので、信州へでかける機会はないねぇー。
 これ小さいからリュックにいれて沖縄で泡盛をいれてグビッだな。信州の守田がくれた酒器で沖縄慶良間の海を思う。
 さてこのブログのタイトルを入れるとようやくGoogleのトップに出てくるまでに復活した。まあタイトルは固有名詞だし、そんなにアクセス数は多くないのだろうけど少なからず読者はいるんだと思われた。

鎌倉市コジキ浜
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番外編271. 花見酒

2017年04月10日 | field work
 藤枝市の博物館で、郷土出身の作家小川国夫の逸民忌があった。彼の随筆の一節が朗読され、そのなかに「僕が憎んで避けるのは花見酒です・・・花見の宴はごめんと言いたいのが僕です」とあった。
 だから我々は、博物館前の蓮華池公園の東屋で、地元の文化人らと多いに花見酒を酌み交わし宴を催していた。そのために私は、京都からでむいたぐらいだから。
 いつも思うが宴で桜を愛でるのは最初だけ。今年は咲くのが例年に比べて遅いですねぇー、という挨拶に始まり、あとは桜のことなんか忘れて多いに飲み語る宴である。桜が人々を集める契機となっているわけだ。
 物差しの話から始まり、天皇制に飛び火し、ついにカラスが散らかしたパンが落ちていると話題は脈絡なく続く。そんな風に、ご機嫌な時間が過ぎてゆく。人間は、宴を通じて他人との距離が近づいてくるようだ。そんな風に心地よい時間がすぎてゆく。
 陽も暮れ場所を変え、宴の続きである。さらには三次会までゆく奴がいる。そんな宴の後の空虚感を感じるのは寂しいので、私は二次会で引き上げ同級生のベンツで三河安城駅まで送ってもらった。胸やけがするぐらいだから、少し飲み過ぎた方だと思う。
 歳をとると深く酔うということがなく、それでいてミネラルウォーターで胸焼けを沈めるという、つまらない飲み方をしている自分に気がつく。つまり一気に飲むのではなく、時間をかけてダラダラ飲むようになったのだろう。夜遅く京都に戻る。

iPhone7
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番外編270. 台風通過後

2017年04月09日 | Shonan coast
 番外編は、スライド画像のアップを続けている。昨年の1月頃ポジフィルムをデジタル画像にデュープしたものだから、コントラストは高くなるがphotoshopで修正するとそこそこに見られる画像になるなどソフトの進化が著しい。
 横浜から大学に通っていたころは、週1日しか出勤せず、あとはすべて自宅で仕事をしていたことがあった。それを可能にしたのがインターネットであり、これは実に便利な存在だった。
 そんな原稿書きの合間の午後遅くから湘南電車で藤沢まで行き江の電鎌倉高校前で下車し、眼前のサァーファー達にコジキ浜と呼ばれている海岸に、ハスキーの三脚とロシア製1000mmのレンズを付けたニコンF4を構えてサーファー達を撮影していた。波があると予想されるときは毎日通った。そして夕方になるとプリンスホテル前のファーストフード店でお茶をする。季節によっては海沿いのここのテラスが心地よくサァーファーや散歩する人たちのたまり場だったし、トビがビジターのハンバーガーなどをかっさらってゆくこともあり結構ワイルドなところで楽しめた。そして、稲村ケ崎から夕焼けを撮影して帰るという散歩だった。
 時には沖合を台風通過後、つまり2時間ぐらい経った頃をねらって出かけたこともままある。大きな波が来てサァーファー達が一斉にくりだすわけだ。もちろんこのときは良いカットがとれるわけだけど。だから台風がくるのをみんな待ちこがれている。
 今この界隈唯一のファーストフード店は、ドライブインに変わりつまらない店になってしまった。ここの駐車場がサーファー達のたまり場だったのだが、いまはどうなったのだろうか。まあ公共のサニタリーがあるので、いまでも使えるとは思うが。
 このあたりは私にとっては独特の空気を感じ、東京に出かける機会があれば、また散歩してみたいところだ。

神奈川県鎌倉市
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番外編269. 湘南の海

2017年04月08日 | Shonan coast
 今年でブログ10年目。ブログ開始1年目の2008年5月17日から同年6月10日までCoastal Trailと題して、横浜に住んでいた頃の散歩コースである湘南海岸をテーマとしている。少しそんなイメージで旅をしつつ。
 この地方のアイデンティティは、当然ながら海であり、砂浜であり、サーフィンであるのだが、個人的には海岸に続くバックグラウンドの名前のない葦などの雑草が生えた生活の隙間のような未利用地が脇役のように記憶がある。それはどうしてだろうと思ったら、映画「8月の濡れた砂」の記憶だった。
 海のない京都市だから、また午後遅くの明るい光の海を散歩したいとおもう。それが関西人がよくゆく神戸の舞子浜ではあかんのである。 やはり瀬戸内海ではなく太平洋がみたい。だから湘南の海なのである。
 江の電の鎌倉高校前で降りて稲村ケ崎まで散歩するのが当時のコースだった。この間にファーストフード店が1軒だけある。いつもここでお茶するほかないのだが。
 そんな旅をするためには、午前中で片付く東京の仕事等があれば丁度良いのだが。そして夕焼けをみて帰る。今は小田原から各駅停車の新幹線だから帰りは結構時間がかかる。せめて画像でもアップさせて湘南の気分にひたろうというわけだ。
 そんな湘南をイメージしつつ、京都の家では遅まきながら書架の図面をかいている。つまり本や資料の整理が続きやらざるをえない雑用だ。 

神奈川県鎌倉高校前
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番外編268. 京都の町に住む条件

2017年04月07日 | field work
 画像は長崎だけど、今日は京都の町の話。
 今年は我が町内の町内会長を引き受けた。早速外国人観光客人気ナンバー1の伏見稲荷の祭礼がある。お旅所に奉納金持参で拝礼にゆかなければならない。そうすると山車が町内へやってくる。それが終わると夏の大行事地蔵盆、こりゃ大変だわ。続いて運動会にお火焚き祭、そして新年拝賀式、そして総会で次の会長に引き継ぐ1年間のお役目だ。
 もし、ビジターが京都の街を歩いて古都の空気を感じたら、それは市内全域に存在している町内会組織が頑張っているからだといってもよい。
 京都に住みたぁーーい!、といってる人たちに申し上げたい。京都に住んだらみんな町内の行事を分担してやるのが義務。お地蔵さんとお稲荷さんのお花やお掃除の当番、そして町内会の役員は軒周りにやってくる。やってきたら引き受けなければならない。それがこの町に住む条件です。
 いつも市内のお地蔵さんには、花が植えられ綺麗に掃除してあるでしょう。年老いたおばあさんがボランティアでやっているですって。アホか、あれ全部住んでいる町内の人達にお当番でまわってきます。それ用のお花はスーパーで売ってます。そうしたお花は、町会費で支払います。町会費は全部の世帯からまとめて徴収します。
 こうした仕事を面倒からずにやれる根性が町に住む条件です。それでもマンション暮らしのあなたは、京都の町に住みたいのですか?。
 実は、日本のおよそ町や村には、こうした町内会的な組織があります。なかには、葬儀も町内や村で取り仕切るところもあります。それに自治体のお知らせは町内会をつうじて住民の隅々まで伝わるようになっています。それは昔から続いたコミュニティの至極普通の姿だといえるでしよう。

長崎県・オランダ村
ContaxT3,ベルビア 
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番外編267. ハウステンボス・ワッセナー

2017年04月06日 | field work
 スライドデュープ画像をみていると、そのときにしか出会えない人達と場所があることに気がつく。このときは筑波大の土肥先生らのグループと一緒に熊本の学会に行き、この帰りにレンタカーで雲仙を抜け長崎へ行き、そして帰りにハウステンボスに立ち寄った。それも雲仙普賢岳が噴火する以前のことである。
 この頃ハウステンボスは元気であり、アメニティ的にも工学的にも環境に配慮された施設は、私たち専門家の間では高く評価されていた。そしてハウステンボス・ワッセナーと呼ぶ分譲住宅地のランドスケープは、本格的な風景を提供していた。
 だが「オランダに行けばエンドレスでオランダだよ」という指摘にもあるように、なぜこの地でオランダなのかという基本的考え方が不明確のままのテーマパークであり、次第に経営難に陥り複数の企業を渡り歩くことになる。それは神戸や横浜が古くから外来文化の影響を受け、それが日本で成長してきた経緯とはほど遠く、いささか人為的につくりあげてきた村であるためだろう。村という以上居住区があり、実はこの分譲住宅地であるワッセナーと呼ばれる施設がオランダ村の要である。
 ハウステンボス・ワッセナーのランドスケープは、時間が経つごとに成長する環境的資産である。そうした成長する資産を今の日本はいくつ持っているだのろうか。こうしたオランダ村が私たちに与えてくれる教訓は数多いと思われる。
 さて昨日は、免許の更新で半日京都の僻地へ。午後はたっぷり午睡、夜はクロッキー教室で少しクリエイション。ついにこのブログもGoogleのトップから落ちた。やはりiMacがクラッシュしてしばらく休んだからだろう。現代の移り気な人たちは、さっさとさってゆく。まあ、それでいいのだけれど。雑事が多くなかなか新しいソフトに取りかかれない。

長崎県オランダ村
ContaxT3、ベルビア
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番外編266. 後悔

2017年04月05日 | Kyoto city
 デュープしたスライドフィルムのデジタル画像をみていた。1980年後半から2000年の始め頃の画像である。この頃たくさんの仕事をして、これを追いかけるようにしてたくさん旅を重ね、そして多くの写真を撮った。
 そんなデジタル画像を見ていると、私って随分撮影が下手くそだとわかる。機材が傾いている、ピントが合っていない、ブレているなどなどだ。最も最悪なのは、プロユースの撮影機材をコロコロと変えていることだ。こうなると下手の真骨頂というほかない。
 もしあなたが上手に撮影したいと思ったら、10年ぐらいは一つのレンズそして一つの機材で撮影すること。当然複数のレンズ等に手をだしてはいけない。一眼レフなどもってのほかである。私はニコンでよい写真が撮れたためしがない。実に難しい機材だと思う。ただしスライド画像のデュープには唯一使える機材でもある。
 例えばヴィヴィアンマイヤーはローライフレックス1台だけで生涯撮影し続けた。フォトグラファーは意外に撮影機材が少ないことがわかる。撮影していて自分とフィーリングが合ったら、それを一生使い続けること。
 私の場合は、機材マニアという悪循環に落ちたのだから語る資格はないが、それでもこれは唯一フィルム機材として残しておきたいのが35mmの焦点距離を持ったコンタックスT3である。画像に透明感があり色の発色が私の感覚に合うし、レンズはカールツァイスだから大変優れものである。この機材だけ使っていればよかったと今は後悔している。デジタルデュープにしても画像の良さは失われない。
 これまで私は、日本の写真工業会に随分と散在し、カメラ立国ニッポンに貢献しちまった。そしてヘタクそな写真を大量生産しちまった。
 そうした優れものが登場してきた頃、皮肉にもデジタル化の時代に突入してしまった。コンタックスT3が活躍できる期間は意外に短かった。さて今の時代に10年は使い続けたいデジタル機材はあるのだろうか。
 自分のフィーリングに合った優れた機材を1つだけ長く使い続ける。それで写真の世界は十分なのだろう。
 となるとコンタックスT3を使い続ける道もある。スライド現像を依頼したときにデジタルデュープを一緒に頼めばよい。ただこの機材はもう修理できないのが悩ましいところである。

長崎県ハウステンボス
ContaxT3,ベルビア
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番外編265. シンボル桜

2017年04月04日 | Kyoto city
 京都市内のシンボル桜、ただし1990年代末頃に撮影したスライド画像。ちゃんと三脚持参で出かける律儀な時代。データの整理をしだすと、こんな画像に指が止まりなかなか片づかない。
 さて今年の桜はまだつぼみというのが京都観光Naviの情報。桜祭りは4月9日までだけど丁度その頃あたりから咲き出すのだろう。今の京都の朝晩は寒い。この桜も近年随分枝を落として貧弱になったという記憶があるが、今年はどうなんだろうね。
 昨日は、Mac miniを。ヨドバシカメラで在庫がないので予約。ついでにWEB用だからモニターは安いものでええだろうと思ったら、ホンマに安いは。27インチでHDクラスの解像度であればいいさ。レアメタルの類いが枯渇したら突然宝石のような価格になるのだろうけど。液晶は2枚のバネルでサンドされているけど、内部の材料は当然危険でパネルが割れたら石けんで手を洗うこととWEBには書かれてあった。
 さてスライド画像のデジタルデュープなんか見ていたので今週はこのスライドデュープ画像をアップさせようか。
 相変わらず本の整理と後片付けの日々。退屈な仕事だけど、やらないと家が混沌としてくる。運転免許の更新と半年車検もあった。

京都市円山公園
NikonF4 AFNikkor35-70mm/F2.8,ベルビア?
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PEN LIFE1428. 情報の賞味期限

2017年04月03日 | Kyoto city
 今日もこわごわの古いiMacでブログを書いている。
 さて大学から持ち帰った資料や本の整理をしている。先ずは本棚の増設である。設計して発注しなければ。
 海外調査のスライドがでてきて、デジタル化してなかったのかよと慌てさせてくれる。本などは改めてみているといらないものが多い。もちろん今は手に入らない本だけど使わなければいらない。これは精査して大学図書館へ寄贈するか。いるのは自分が執筆した本だけでよいのではと思ってくる。
 結構なポリュームがあるモノクロネガは全くデジタルデュープ化していない。1964年頃からあり古い街が映っている。ニコンDfがあれば簡単なのだが、20日レンタルすると購入価格と同じになる。 やはりあれがいるのか。ニコンはこういう時に実に役に立つ機材だ。やはり研究者が使う機材だと痛感する。これをデジタル化するとボリュームが多いに減る。フィルムのデジタル化というは、収納スペースが減るし使い勝手もよくなるので便利なのだ。それに消すのも簡単。
 最近デザイン学会の論文投稿も配布される論文集もデジタル化された。もちろん印刷費や発送費が浮くので多いにコストダウンされている。大学退去間際に大量に論文雑誌を捨てた経験をすると、デジタル化でよいではないかと思う。先駆的研究第一義で論文を書いてきたから、どうせ自分の論文以外は読まないしさ。
 ほんとに人間は、捨てるために消費しているようでもある。購入するときには様々な意味付けがあるのだが、いわば賞味期限をすぎるとゴミ以外の何者でもない。情報の賞味期限というのは、その人のライフスタイルと関わりながら当然あるのだろう。
 理想型は、情報をかき集め本や作品集に編集してまとめ社会に発表したら、もうそれまでの情報は不要なので捨て去るのがよい。そうして自分の本や作品だけをストックすれば家の中は明快になる。
 そこを目指して目下資料の整理中。まだまだアトリエと呼ぶのにはほど遠い状況だ。

京都市四条通り
OLYMPUS OMD E-M1Mark2, Carlzeiss Distagon25mm/F2.8
ISO1250,露出補正-0.3,f8,1/100
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EOSな日81. “名古屋にいらっしゃい”

2017年04月02日 | Nagoya city
 名古屋は良い街である。
 そのことがわかるのに私は随分時間がかかった。というのも戦災で歴史資源の大半を喪失し、その後の復興で近代の景観を呈する都市に生まれ変わったが、ビジターが訪れる魅力が他の都市以上にあるというわけではない。
 名古屋の街の良さを実感したければ、この街をレンタカーで走ってみればよい。どこにいっても道路が広く整然と整備されている。そしてどの店にいっても駐車場で悩むことは少ない。店自体が車の行動範囲で最適化されて立地している。それは東京のような過密の極限にある都市と比べれば、はるかに快適な街なのだ。
 誰でもが都心暮らしをしようと思えば簡単にできるのも名古屋である。これが東京ならば都心には、億ションしかない。だれでもがすめるわけには行かない。そのためか、大学を卒業後も名古屋に住み続ける卒業生は多い。
 そして企業が支払う法人市民税も、資本金1千万円以下なら東京の7万円に対して名古屋は47,500円と安い。
 また大学人にとっては本をだすというのが宿題みたいなものだが、出版社の説明によれば東京が200万の印刷費とすれば名古屋は120万程度ですみ4割方安く印刷技術は優れている。つまり名古屋の出版社の方が本をだしてくれる確率が高いことになる。
 そうしたことを踏まえると、東京脱出をして名古屋に本社機能を構えた方がコストもまた従業員の負担も少なくなるはずである。そんなことを考える大手企業が東京にはあるはずである。
 総じて名古屋は公共インフラが充実しているので、渋滞と過密に悩む東京に比べれば、はるかに仕事の効率がよい。そして周辺には上高地がある中部山岳国立公園や高山や妻籠宿などの歴史資源、そして穂高や下呂の温泉も数多く、それらへのアクセスも容易だ。
 そろそろコストばかりかかる非効率的な過密都市東京脱出をしませんか、と私はいいたい。いずれ名古屋のメリットに気がつく大手企業はあるだろうな。都市には最適な大きさがある。それが名古屋です。それを超えたらコストばかりかかり仕事や経営の効率が悪い過密都市になってしまうでしょう。
 “名古屋にいらっしゃい”、東京で生まれ育ち、いま京都人の私が名古屋に19年間通い続けた経験ではそう思うけどな。

名古屋市大須観音
EOS1DsMark3,EF16-35mm/F2.8
ISO320,焦点距離16mm,露出補正0,f45.1/1260
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PEN LIFE1427. エイプリルフールか!

2017年04月01日 | field work
 さあ、行くぞ!、と手を引いている。 その先は日曜市だ。 彼ら外国人の一群は、クイーンエリザベス号の乗客達のようだ。Cunardと書かれた旗をもったガイドさんがいたからだが。
 さてブログをしばらく休むと書いたのに、まだ続けているではないか。エープリルフールか!、いやそうではなく、フォントを変えたら行間の不揃いが直ったというのが大きい。それまで使用していたWEB用フォントではなくヒラギノを使用したら行間の不揃いが解消したのだが、これでWin系にどのように見えているかはわからない。つまりわては知らんぜよという気分だ。
 コンテンツ、つまり書くネタはいくらでも思いつく。ようは書く意欲になれるかどうかの話である。
 それに初期の頃のiMacで代用しているので今は使わないMobile meがパスワードを求めてきたり、動作が大変緩慢なのでそろそろクラッシュかと思われるなど、長く使い続けたくないという意識がある。いずれは、Mac miniを入れてブログのモデルチェンジを考えている。それともブログに書くような話題がなくなったらこの場から消えるかもしれない。
 2月の初めにブログを書いていたiMacがクラッシュして以来、このブログを客観的な意識で読み返していた。その結果これは十分本になると思われた。もちろんそれが今売れるわけではないので、ある種の工夫を加味すればの話だが。
 本といえば、1月に出した私の本がAmazonで大型本に分類されている。単にA4横サイズという本にしては珍しい大きさなのだが、それだけで大型本とは恥ずかしい限りである。どうやら出版社も丁寧に売っているようである。それにしても中古本が5,000円以上というのは、印税も放棄して低減な価格を実現してきた筆者としてはいささか唖然としている。まあ出版部数が少ないので早い者勝ちではあるけど。
 この調子だと、ゆるゆると新しいブログへ移行してゆこうかと思う。

高知市
OLYMPUS OM-DE-M1, M.ZUIKODG12-100/F4
ISO200,焦点距離31mm,露出補正-0.3,f5.6,1/320
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