Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編275. 季節が夏に舵をきる

2017年04月16日 | Shonan coast
 昨日はミノルタレンズで、今日はロシア製1000mmの同様のレフレックスレンズで撮影した画像をみると、やはり色や背後のボケ方がこちらは今ひとつだ。ロシア製は写ればよいのか。
 さて私がクロッキー教室の帰りに、若い女性がけげんな顔をしてきつい目線を私に寄せていた。私は、その女性の後ろの左折する車の前を横切る自転車を「あれ、夜だから急に飛び出すと危ないよなあ」とみていたのだ。それを女性は私が自分をみていると勘違いしたのだろう。
 さっきまで私は若い裸婦を描いていたので君には興味ありませんとはいわなかったけど。女の勘違いというべきか(笑)。
 私が街でスケッチしていれば、多分ボディはこれぐらいで骨盤はこの大きさで描けば人体になるかなぁー、といった具合に女性を観察するが、人体は複雑な局面の集合体で筋肉と骨の一部が表層に現れるから結構描くのが難しい。そこがデッサンの勉強になるゆえんだろう。
 プロダクトデザインでもデッサンを勉強する。それが車のデザインに行き着く。車は人体よりはわかりやすい3次曲面だけど、それが居住性能や走行性能をパッケージしつつカッコいいかどうかという評価を左右する。形態に対する美意識は、時代や人間の経験で左右するので、まあいつの時代もなぜそうなのかは説明できないことの方が多い。だからデザインなのだろう。
 さてこの画像をみていたゼミ生から「盗撮ですかぁー」といわれたが、おとんは警察官だそうだ。どうりでいうことが犯罪用語系だ。こちらは隠れもせずサーファーを撮るために海岸に堂々と三脚をたて、しかも1000mmのレンズだから、この程度のものは簡単に撮影できる。笑える勘違いもあった。
 実は社会では、「見た!」、「見られた!!」、「撮った!!!」、「撮られた!!!!」で騒いで犯罪にもなりスクープもそこから成り立つ。私にいわせれば、そんなつまらないことはどうでもいいんじゃないか、というのも洋服を着ている人間の体の体型は、意識的に類推しようと思えばデッサンをしている人ならばだれでも類推できてしまう。普通は、それをいうと失礼だからいわないけれど、わたしなんか無作法だからブログに書いちゃう。
 今日の京都は、冬の格好が不要なほどに暖かくなった。季節が夏に舵をきったというべきか。それは風上に向かって走っているヨットののタッキングにも似ている。寒かった春を通り越して我々は一気に夏へ向かう。

鎌倉市コジキ浜
コメント
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