Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング162.  普通の目線

2018年06月08日 | drawing

 さてブログも書きためたストックを一ヶ月ぶりに消化し、アップ日前日に書く日課に戻った。京都も昨日までの雨が上がりで朝から晴天、28°。天気図をみたら太平洋上に停滞前線がある。もう立派に梅雨の天気ではないのか。明日はまた雨。

 井口奈巳監督「人のセックスを笑うな」をappleTVでみていた。題名とはうらはらにラブシーンは少ないがストーリーが面白い。たかだかセックスじゃん、不倫がどうかしたの、ということに普通の目線。今の時代に平民ばかりだからお姫様が登場する大恋愛なんか存在しないし、操をたてるほどのつれあいでもないし、その程度のことで一々大騒ぎしないでよ、男と女はくっついたり離れたり、それ以上でもそれ以下でもない、という普通の目線が映画の底に流れている。

 タイトルが秀逸で、確かに身の回りを見渡して、「なにお前!、あの堅物女とセックスしているのかい!?、それって楽しいのかねぇー??(笑、笑、笑)」、なんて居酒屋で酔ったときに思わずしゃべってしまいそうな台詞だ。

 ラストで、ユリは猪熊さんとインドに行っちゃいます。「会えなければ終わるなんて そんなもんじゃないだろう」、主人公みるめの意識が登場して終わるのだが、「男と女のいい関係なんてそんなもんです」とみている方は納得してしまう。

 それに同時録音しているから、背後に群馬県の街の空気を感じさせてくれる。そして猪熊さんがカメラの修理屋というのが面白い。なんでカメラの修理屋さんだったのだろうか。原作者の山崎ナオコーラさんは国文学出身だから、あまり撮影と関係がありそうにも思えないが・・。

 さて、その私のカメラの修理が完了したとニコンからまだ連絡が来ない。6月中旬という予定だから、まだ先か。その頃こちらは沖縄へ出かけているけどな。うーーん、ニコンF3+MD4で那覇の街を撮り歩くのはあきらめてコンタックスT3でももってゆこうか。いつも使いたいときに間に合わないニコンである。その結果関心が薄れ、しまい込み、そのまま忘れてしまうのだけど。こりゃ普通の目線以下だな。

 

クロッキー帳NO36.

 

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番外編368. 男と女のいい関係

2018年06月07日 | Tokyo city

彼の背中にピッタリついて走り抜けるバイクカップル

 

信号待ちの人混みのなかで告白するカップル

 

ルンルン気分で照れながらラブホにゆくカップル

 

 ようやく足指骨折でストックしていたブログ原稿がなくなった。最大3週間分も書きためた。書きためた原稿をブログの原則に従い、毎日はき出すというのも案外じれったい作業だった。

 そんな早書きすると、こちらの意識と社会とがズレてゆくようだ。今頃こんな古い画像をアップさせているのか、といった具合に違和感があった。早書きする利点は、校正時間があるから文章を直したり、雑誌の見出しのようにテーマの構成を変化させてみたり、あるいはくだらないブログを削除したりと、時間がたつと勢いで書いたブログもあらがみえたりもするから、1週間分ぐらいのブログはくだらねぇーっと思い削除するなど、利点もあるが、それは編集という作業が次第に重みを増してくるようだった。

 だから予め書きためるというのも、10月に制作したテレビ番組をお正月にみているようでつまらないと思った。やはり昨日の日記、といった具合に即時的な方がリアリティがあってブログらしいようだ。

 さて横浜に住んでいた頃に撮影した画像のストックがたくさんあるので、そんな拾い出した渋谷の街。この街はカップルがよくにあう。青山通りから続くどんつきにあるからおしゃれな空気と、数多くのお店や赤提灯街まであるさばけた空気と、円山町のラブホ街のある男と女のいい関係みたいな空気とが街中に漂っているからだろうか。

 かってラブホ街の経営者に話を聞いたことがある。1日一つの客室が4回転するから、休息2時間5,000円でも2万円/室・日の収入になり高級ホテル並みに収益があがるという話だった。高校生のグループがラブホにやってきて「○○ちゃーん、頑張ってねぇー!!」なんていう会話が日常だったし、それにしても男と女のいい関係というのも結構もうかるんだと思われた。

 その頃、西麻布のプロデュース企業で仕事をしながら、月曜日の夜だけ渋谷の専門学校でインテリアデザインを10年程教えていた。妙齢のOL達がキャリアアップを目指して数多くやってきた。こちらもハードな仕事の合間の息抜きだったから、どんなに忙しくてもタクシーで駆けつけていた。

 そんな授業の合間に、同僚の先生や学生達と雑談している時間が楽しかった。キャリアをつけたいという彼女たちの意気込みと、その前に立ちはだかる社会の厚い壁の前で、右往左往している彼女たちのジレンマを感じた。なんか助けてくれてもいいじゃない!、そんな空気を肌身に感じていたし、暗黙の目つきの前で私はクールな先生だったな。そんな前向きの彼女たちは、とこか世渡りに不器用さがあったけど、それでも前向きな姿勢が結構魅力的で、私にはまぶしく見えていたのかもしれない。

 同僚の先生がペンタックス・マニアだったから、私も会社のゴミ箱に捨ててあった全く動かないペンタックスMEを修理に出して回復させ、夜の雑談の話題にした。そして専門学校の行き帰りに、これで渋谷の街を撮り歩いていた。結構よいカットが撮れた記憶がある。この身の丈サイズの肩のこらないペンタックスが渋谷の街にも私のライフスタイルにもよく似合った。その後これを使っていれば、私は撮影の名手になったのだが、私の機材ではないのでお返しした。

 そんないい時間をくれたのが渋谷の街だった。あの頃の悩み多き彼女たちは、その後どこへ落ち着いたのだろうか。

 さて、そろそろニコンのアニバーサリーメンテナンスからF3が戻ってくる頃だろう。先日F3用の綺麗なモータードライブMD4を調達した。これがなんと青森県弘前市から届いたのだが、その青森は写真マニアが多いし、私が惹かれる街だ。さてこれをF3に付けレンズは手元にあるコシナツァイスディスタゴンZFで現代的な写りにして、フィルムはプロビア100かトライXでよかろう。

 そんなモータードライブの音を響かせて渋谷や青森の街を撮りに行こう・・・・ウン!、おれ横浜ではなく京都に住んでいたんだ、日参するのにはちと遠いーー!!。

 

東京都渋谷区、PENTAX ME,SMCタクマー120mm/F2.8、トライX

 

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ドローイング161. ネガティブとポジティブ

2018年06月06日 | drawing

 ネガティブとポジティブといってもフィルムの話ではなく、パブリック・コンタクトの話。

 最近街を徘徊していると、「あっ、ダメここ禁煙!」、「こんなところで煙草なんか吸わないですよーー!!」と言われることが多くなった。まあ京都市は街毎禁煙条例を設けたので、それはしょうがないのだが、ふと私が気がついたのは、最近の京都人はネガティブなパブリック・コンタクトばかりだな。他方でポジティブなパブリックコンタクトは皆無だなと思っていた。京都も随分と東京ナイズしてきたと思っていた。

 こう書くと東京人辺りから、「あら、京都は心遣いがあって優しいですよ」なんて反論が帰ってくるかもしれない。アホか!、それは貴方が観光客として京都の街にお金を落とすから心遣いや優しさを演じてるだけさ。おべんちゃらでお金が落ちれば安上がりでしょう。

 私の経験だが、冬のニューヨークのホテルのツリーが綺麗なので、上さんと一緒に自撮りでもしようとしたら、年配のホテルマンがやってきて「さあ、撮ってあげるよ、腕組んでね、スマイル!!」といって記念撮影をしてくれたり、5thアヴェニューの百貨店ではファンタジーなクリスマス・ストートリーのショーウィンドウがならび、ただ楽しませんくれて行列ができている。日本ならば商品を加えたりするけど、そんな宣伝臭さが皆無だった。そんな風にアメリカ人は普通にホスピタリティとユーモアを感じさせてくれる。それがポジティブなコンタクトだといっておこう。

 そんなつまりあれダメ!、これダメ!はよくいうが、なんでもルール化してそれを守るだけではなく他人にも強要するという実に迷惑なのが東京人&京都人のネガティブ・コンタクトだろうか。他人のことは関知せずという外国人と、他人の目が気になってしょうがない日本人の気質の違いばかりではないだろう。何でも注意やクレーマーばかりのネガティブ・コンタクトしかいないクレーマー日本人。ポジティブ・コンタクトの方はどうしたんだい?、と問いかけたくなる。たまにはNHKのニュースで、しょうもないだじゃれじゃなくて大受けするジョークの一つも聞きたいね。

 だから、そこで次の言葉を思い出すのだ。

 

ベッカムが消防士に珈琲を差し入れる英国

スタバから大量の珈琲が消防士や警察官に届くアメリカ

消防士頑張れと横断幕をはる台湾

消防士が缶珈琲を飲んでいると119番へクレームをいれる日本

 

 そんななかで唯一ポジティブ・コンタクトのあるのが大阪人。「おっさぁーーん、煙草吸うなって役人がいってはるでぇー」、大阪人ならそういういいかただろうな。いやそんなことすらいわず、「うちらの街ですから好きにさせてもらいます」という意識の方が強い。つまりヨーロッパ社会のように自治意識が高い。かって自由交易都市堺があったからというわけでもないが、大阪人の意識はどこかヨーロッパ的なのだ。

 そして相手の自尊心を揺さぶりつつ、巧みに話題に誘い込み、それで1時間はしらないオッサンと立ち話ということもままある。そして、こいつ話していても乗らないなと思えば、あっちのお寺の花が綺麗でっせと、人払いしてくれる、うち逆方向に行くんですけど、とこちらの気分は無視して。そういうパブリック・コンタクトの最たるモノが大阪人だ。なにしろ吉本花月にでかけ、お笑いを楽しむというよりも、そこで新しいネタを仕込むのである。それを咀嚼して披露してくれるから話がうまいのだ。お笑いだって、うちらが日常使えなきゃ意味あらんへんでしょう、というわけだ。そこが関西流話術の世界なのだろう。

 

クロッキー帳NO36.

 

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ドローイング160. 美大の実技試験

2018年06月05日 | drawing

 私が教えていた名市大の芸術工学部の入試科目に実技試験があるので、デッサンの試験問題をつくらなければならない。それも1年休むとすぐに出題担当が回ってくる。デッサンだけならモチーフを与えてしまえば簡単な話なのだが、それではデッサン力の評価しかできない。工学部系だから普段からの観察力も表現力とともに判断したいわけだ。

 そこで静物のモチーフを与えつつ、一ひねりする。例えば紙コップと紐を与え、それに任意の辞書を加えて構成しデッサンしなさいといった具合に。つまり1点は身の回りのモノの想像デッサンを加える。そうすることで、普段見慣れたものがどれだけ観察されているかが判断できるだろうという意図である。

 時には英和辞典を持参せよと指示する。試験出題文は英文だったのだ。実技試験だって英語は必要なのだ。翌年度も英和辞典を持参せよと指示する。そうすると予備校で英語の出題だってんで受験生はちゃんと対策をしてくる。でっ、試験問題は、「与えられたモチーフに持参した英和辞典を加えてデッサンしなさい」という日本語の出題だった。そんな風に出題側もいろいろと考えながら試験問題をつくっている。

 過去問題も公表されているし、そういう主題傾向が続くと予備校の実技試験コースもちゃんと傾向と対策をしてくる。そんなわけでデッサンの回答用紙をみると、描けている、から、描けていない、とバラツキが出るので試験問題としては正解なのだけど。そうなると予備校のデッサン科目の講座に通えば、まあなんとか合格点の範囲内に届くだろうというのが私の大学のレベルだが、それは実技試験の水準では並かそれ以下!。

 これが芸大になると、みんなデッサンが描けてくる人間達ばかりだから描けて当たり前。そうすると次の判断基準が働く。つまりいかにも付け刃的に予備校で勉強しましたなんていうのよりは、美術が好きで好きでという人間を取りたいよね、ということになる。

 そこでいかにも予備校で勉強しました風のデッサンはカットされる。そんな付け刃で芸術を勉強してもらってもさ、というわけである。デッサンが好きで好きで高校3年間美術部に所属して絵を描きましたというのと、受験準備で予備校などで促成で1年間勉強しましたというのは、デッサンによく表れる。つまり後者の予備校系は技巧的なのである。でっ、そういうのはカット。芸大は何年も浪人しているのが受験生できますが、何年もデッサンをしていると必然的に手慣れてくるので大変旨いし、それなら芸大で勉強することないじゃんという結論になる。そこで芸大で学べばもっと伸びそうだなというデッサンに高い得点がつくわけである。受験生の可能性をみているのである。

 まあ芸大に行きたいという以前に、芸術が好きなんですか?、そこが問われている。好きであれば高校時代に美術部にはいって、モノを観察したり表現したりすることは身についているよね。そこが大切なポイントなのだろう。

 ふと思うに、高校時代の美術経験に関する書類を高校の美術の先生に書いてもらう案がありそうだ。あるものは事実を性格に、ないものはそのままで正確に。そしてデッサンが同点で並んだときは、やはり美術経験の多い方を優先したいですよね。それが私の気分でもあった。

 まあうちは工学系なので、実技試験の点数よりは学科試験の数学の点数が大きくものをいうことは確かなのであるが・・・。

 

クロッキー帳NO36.

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ドローイング159. 美大系

2018年06月04日 | drawing

 少し画像も飽きた。といって最近は、足指骨折をいいわけに何もしていない。実は、それが結構心地よい時間だったりしている。

 予想外の怪我で、こんなの軽く治るだろうと思い外科の医院を尋ねたら2ヶ月スポーツはできませんと診断され、その後二ヶ月間スイミングもダイビングもしないという生活にはまいった。それでも骨折した脚指を引きずりながらクロッキー教室には通っていた。一応私も芸術系出身者だからね。

 動けない間、スマホのpinterestでデッサンの画像をひろいながら、少しは人体の勉強に努めていた(単に眺めていただけだが)。そのとき気がついたのだが、最近の漫画は、昔のポンチ絵などに比べると人体の描写もリアリティがあって描けているではないか。多分美大出身の漫画家も多いのだろう。

 そう思って調べると、WEB(2018.4.16)によれば「手塚治虫文化賞 マンガ大賞」「文化庁メディア芸術祭 マンガ部門大賞」「マンガ大賞」受賞者36名のうち22人、6割が美術系出身者だった。もちろん美大をでなくてもデッサンを勉強すれば同等の表現は可能だし漫画はそこから少し簡略化しデフォルメしているうえに、なによりストーリー性が重要になってくるので、一概に美大賛辞とはゆかないけれど。

 それにしても文化系の編集者から、もっとデッサンを勉強してよなんていわれている美大出身者がいたりして。それは多分デッサンが嫌いで絵画や彫刻の世界にはゆかないで漫画に逃避したのかもしれないなと、こちらは笑えた。

 私が名市大の芸術工学部で教えていた頃の経験でも、大学のオープンスクールにくる親御さん達が多い。その質問が決まって「就職はどうなるのですか?」、そんな質問が関心事なのだろう。私の解答は「そこに書いてあるでしょう、参考にしてください」。そもそも大学の過去の実績を我が子の未来の人生に重ね合わせようとする、「過去・未来合体」という論理構造に無理のある話なのだが(笑)。

 すでに美大を目指すということ自体が、暗黙のあるかないか不透明な社会のレールから外れてゆくわけであり、それはそれで面白い選択肢だと私は思うけど。何になるかわからないけど、今関心があるのはこれ!、いまの世代の選択肢は、そんな感じだろうか。それでも美大系は感性と技は磨いているので何かを作れるクリエイター達であり、何もできない文化系事務よりはるかに選択肢が広がり世渡りができると思うけど。

 

クロッキー帳NO36.から

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ZEISSの空気22. クロッキー

2018年06月03日 | field work

 時にはSONYのツァイスで。

 最近フイルムに傾倒しているので、数少ないデジタルストックだが、そこから幾つか画像を探し出しアップさせては没にを繰り返した結果最後に残った画像、やはりこれだな。つまり白を撮せばツァイスの色が出るかなと思った。結果はわからなかった。

 それよりも、このチアガール?(子供がいる体型だけど)の画像が興味深い。というのも、それはクロッキー(早描き)しやすい体型だからだ。腰からケツ・・ではなく骨盤、そして大腿部にかけてたっぷり筋肉か脂肪のある量感がわかりやすい。だからコスチュームの上から裸形がよくわかる。

 屋外で人物のクロッキーをするとき、先ず裸形で人体を描いてから、コスチュームを着せる描き方が通例だ。コスチュームを先に書くとファッション画になってしまうからだ。

 でっ、描き慣れると街をあるく人々の裸形が大体読めてくる。私は、男は勉強していないが女性は随分描いたので、ケツの形や量感はこれぐらいで大腿骨がこんな感じではいって・・・とコスチューム上からある程度類推できます。だから私の目の前を歩くと、私の意識がクロッキーモードになっていればですが、裸同然で歩いていることになります。

 そんなクロッキーを一ヶ月に1000枚書けという宿題が美大あたりで出題されるようだ。だから学生達は、街へ出て必死に描きまくるわけだ。なかには、帽子、サングラス、マスクで顔を隠して地下鉄の柱の後ろから描くという方法も。それってすごく怪しい空気でバレバレだよとクロッキー教室で話題になっていた。

 とにかくクロッキーは、早描きしながら一瞬の人体の表情や動作を書き留める訓練である。そういう私もあるとき地下鉄で、偶然葉書大のクロッキー帳を持った画家に描かれていた。だから眼線を動かさずできるだけ動かないようにしてあげた。1分ほどで次のモデルへうつっていった。なにしろクロッキーで人間の動作を一瞬のうちに把握するというのは、もう理屈ではなく頭の中にたたき込む訓練!、訓練!!なのだ。

 そうやって、日々デッサン力の維持につとめているのが、画家であったり彫刻家であったりグラフィックデザイナーであったり、そして漫画家であったりするわけだ。特に最近の漫画家は、人体をちゃんと勉強し観察しているので旨いよなと思っている。

 

2018年5月3日、福岡県福岡市博多どんたく、SONYα6000,Carl Zeiss Vario-Tessar E 4/16-70mm、ISO400,焦点距離70mm、露出補正0,f/4.0,1/3200

 

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EOSな日152. 清貧思想

2018年06月02日 | Kyoto city

 久しぶりにEOSのブログ。前回は2月19日で中国中旬のお坊さんのピースサインだった。それも随分古い過去画像。つまり最近フィールド調査に行くことがないからEOSを使う機会が少ない。まだ研究者NOが残っているので、フィールドへ行ける企画をたてようと文科省科研費の応募原稿草案などをちらちらと考えているが、たまには機材を使い回して動かしておこうというので、今日は重たいEOSで。

 ふと思いついた言葉に「清貧」がある。小学館日本国語大辞典によれば「貧乏だが心が清らかであり行いが潔白であること、俗世間にへつらわず、貧乏で節操を守っていること、貞享版沙石集-8.16清貧は常に楽しみ、濁富は恒に愁ふと云々」と書かれてある。清貧の英語を探すと"Poverty"があるが、これは貧困そのものであり、日本語の心が清らかで・・という状態ではない。つまり清貧の英語訳はないから、清貧は日本人固有の意識なのだろう。 

 というのも日本の歴史のなかで難民という言葉が存在しない。ここでいう難民とは、民自らの判断で国をすてて他国へ脱出することと定義するが、そうした歴史が日本史の中では存在していない。だからシリア難民と報道されてもピンとこないこともあるのだろう。

 つまり民自らが国を捨てて他国へゆかざるを得ない状況が日本の歴史の中には存在していないか、あるいはじっと我慢していたかなのである。つまりそうしたじっと我慢の背後にあるのが清貧思想の浸透という考え方もできよう。

 今でも清貧思想は生きていて、まあ資本形成は適わなかったけど、そこそこにくらせればいいさという今の大方の人生観かもしれない。

 最近の我が国の2017年度の国際収支が毎日新聞1面の片隅で報じられていた。日経新聞電子版の記事で補足すると、第1次所得20兆円弱が海外子会社、あるいは巨大ファンド、さらには個人ファンドなどの配当金による直接投資収益。貿易黒字額が4兆5千億円、その他の観光収入で8000億円程度と記憶している。つまり昔教わった加工貿易ではなく投資で稼ぐ日本経済の構造に変わってきている。

 さてこの20兆円の直接投資収益の分母がわからないので、世界での水準が不明だ。多分大変僅かな額だと類推しているが、そこを毎日新聞1面をつかって解明してくれたら記事をしっかり読んだのだが、1面には加計問題で言ったか、言わなかったか、などと子供の議論ばかりであり、要は経済構造が変わってきているときにそんな些末な事はどうでもいいのよ。それよりか国際収支の20兆円が世界経済に占める意味を知りたかったし、海外の諸国ではそれがどうなっていたかを1面全部の紙面で伝えてほしかったのだが、まったく編集主幹の記事の選択が古すぎるよ。

 毎日新聞の欄外をみると世界経済文化講座の案内があり、現代人の知的欲求に応えようとしている。しかし知識というのは、知的欲求に応えさすればよいというものではない。やはり個人の価値や利益などに直接つながる方法論をしめさないと学ぶ意味がない。それが知的満足が得られればよしとする教養的文化系発想では、あかんでしょう。今時の人間が教養だけでは満足できないと思うよ。ここにも心が安らかになればよいとする清貧思想が働いているのではないか。

 そんなことをしている間に、世界では多額の資金が行き場を求めて地球上を走り回っているが、すくなくとも日本は素通りしているだろう。清貧という概念が英語圏で存在しない以上、世界はとても貪欲なのだ。

 つらつらとそんなことを考えていた。

 

2018年5月17日 京都市中京区大宮通錦小路西入

EOS1DsMark3,EF50mm/F1.8

ISO200,露出補正0,f/11,1/250

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PEN LIFE1531. 標準レンズ・ボカして&ドクターの話

2018年06月01日 | Kyoto city

 マイクロフォーサーズはフルサイズの1/2の画面だから、標準レンズといっても焦点距離25mmは、立派に広角レンズであり、被写界深度が広がりあまりボケない性質がある。だがそれでも近距離ならばボケてくれるし、本家のライツには及ばなくても分家の分家ぐらいのパナソニック製ライカレンズは綺麗なボケ方をしてくれるようだ。

 さて話題は変わるのだが「ドクター」という言葉があり、社会的にはお医者さんのことでしょ!?、と今でも勘違いしている人間がいる。医者のことを英語ではPhysician(内科医)とかsurgeon(外科医)といった呼び方をするので、ドクターは医者のことではありません。

 正しくは、大学院博士後期課程の最終試験に合格した者に与えられる学位のことを「博士」=ドクターといいます。ちなみに博士前期課程では「修士」=マスターという学位が与えられます。そう正しく理解しておかないと海外へ出たときに笑いものになります。

 最近よく登場する経歴欄に、「博士後期課程満期退学」という記述があります。それは博士後期課程の最終試験を受けていないか合格していない者のことを意味します。だから「博士」の学位はありません。

 通例博士後期課程3年の間で博士論文を提出し学位取得にいたるとはかぎらないのです。工学系の場合は、やはりそこから1年や2年は時間が必要です。だから大方の院生は必要単位を取得して博士後期課程満期退学という記述になります。その後に博士論文を提出し、審査を受け(それ自体半年から1年はかかりますけど)、最終試験という口頭発表会を経て教授会の合議により合格と判定されます。そうすると博士の学位が取得できます。

 博士論文を提出するのには条件があります。工学部系ですと、審査付学術論文を複数編所属学会に投稿し掲載決定を受けなければなりません。だから学会の査読期間などもあり、3年間で複数編の審査付論文をだすというのは結構大変なスケジュールになります。当然3年間という期間を超えたり留年したりする院生もいるのが通例です。

 博士の学位は、国公立大学では教員免許みたいなものですから、将来大学教員をめざすなら必要です。その他研究所の研究者とか・・・。やはり院生が学会へ投稿する査読付論文の研究と執筆で時間もかかり頭の中が大いにスキルアップしてゆくわけです。まあそれを教える教員も大変なわけですけど。私も博士の学位を取らせた院生を複数指導しましたから、普通の人の何倍も頭を使うその大変さは理解できます。もちろん大変だからといって教員に手当はでません。それが仕事だからです。

 博士の学位をとると、もちろん研究スキルが格段に向上しますが、もう一つ給料が違います。大学にもよりますが、公立大学教員ですと、大体一ヶ月当たりで7万〜10万ぐらい給料が上がります。その違いぐらいかな。

 

2018年5月2日、京都市中京区西ノ京船塚町

OLYMPUS E-M1Mark2、LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4

ISO200,露出補正-0.3,f/1.4,1/6000

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