世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
新聞のバランス感覚
6月4日の朝日新聞の夕刊の一面トップは、「日本 W杯王手」の大きな見出しの上にこれまた。ゴールの瞬間の写真がでかでかとある。W杯地区予選の第4戦 バーレン戦の結果を伝えた記事だ。サブでは
「敵地で一丸、守り倒す」とくる。私はこれを見て、「ちょっとオーバー」と思った。
ところが、夕刊には珍しく両開きのスポーツ欄は、両面を使い、写真三枚、図二枚と共に詳しい報道。さ
らに、最後の社会面でも写真二枚を入れて、紙面の右半分を占めている。(全紙面で写真6枚)
この報道ぶりに、唖然としてしまった。朝日はスポーツ新聞ではない。新聞は、国民や読者にとって必要な
世の中のことを一応知らせてくれるものだと思ってきた。私もスポーツは好きだが、この報道には新聞として呆れた。加熱を通り越している。恐いものを感じた。どうしても読みたければ、近くの駅に行って買って読む。
これほど、第四戦の結果を知らせる必要があったのか。他に国民の生活にとって、伝えなければならないことはなかったのか。この日だって、統計的には、90人近くが自殺し、12万以上の子供達が登校できず家族と共に悩み、およそ300名の高校生が、学校を中退し、80万の若者が、ニートとして家に引き籠もり、200万人を越える人たちが、職探しをしてる。警察が認知した犯罪は8~9000あったはずだし、逮捕・補導された人も1000人を遙かに越えている。離婚が600、児童虐待と家出は60件は越えている。
外国に目を向けると,連日、飢えと戦争でで何万の子供や市民が死んでいる。地球の温暖化と砂漠化は1日も休みなく進んでいる。
要するに、世の中全体を見ているのかはなはだ心配だ。全体を見ていれば当然、バランス感覚が働くはずだ。紙面はアアはならないはずだ。今日の風潮で,ことさらセンセイショナルにとりあげ、目を引きつけようとするのは商業上あるのかも知れない。しかし、それが結果として国民の意識(世論)を形成することを忘れないでほしい。それはメディアの社会的責任だ。JRでいえば、安全性に当たる。
心理学的にはメタ心理感覚(全体把握の感覚)の喪失であり、下世話にに云うと、メディアの鍋ガエル化だ。翌日のテレビは全局同様の報道姿勢だった。
「敵地で一丸、守り倒す」とくる。私はこれを見て、「ちょっとオーバー」と思った。
ところが、夕刊には珍しく両開きのスポーツ欄は、両面を使い、写真三枚、図二枚と共に詳しい報道。さ
らに、最後の社会面でも写真二枚を入れて、紙面の右半分を占めている。(全紙面で写真6枚)
この報道ぶりに、唖然としてしまった。朝日はスポーツ新聞ではない。新聞は、国民や読者にとって必要な
世の中のことを一応知らせてくれるものだと思ってきた。私もスポーツは好きだが、この報道には新聞として呆れた。加熱を通り越している。恐いものを感じた。どうしても読みたければ、近くの駅に行って買って読む。
これほど、第四戦の結果を知らせる必要があったのか。他に国民の生活にとって、伝えなければならないことはなかったのか。この日だって、統計的には、90人近くが自殺し、12万以上の子供達が登校できず家族と共に悩み、およそ300名の高校生が、学校を中退し、80万の若者が、ニートとして家に引き籠もり、200万人を越える人たちが、職探しをしてる。警察が認知した犯罪は8~9000あったはずだし、逮捕・補導された人も1000人を遙かに越えている。離婚が600、児童虐待と家出は60件は越えている。
外国に目を向けると,連日、飢えと戦争でで何万の子供や市民が死んでいる。地球の温暖化と砂漠化は1日も休みなく進んでいる。
要するに、世の中全体を見ているのかはなはだ心配だ。全体を見ていれば当然、バランス感覚が働くはずだ。紙面はアアはならないはずだ。今日の風潮で,ことさらセンセイショナルにとりあげ、目を引きつけようとするのは商業上あるのかも知れない。しかし、それが結果として国民の意識(世論)を形成することを忘れないでほしい。それはメディアの社会的責任だ。JRでいえば、安全性に当たる。
心理学的にはメタ心理感覚(全体把握の感覚)の喪失であり、下世話にに云うと、メディアの鍋ガエル化だ。翌日のテレビは全局同様の報道姿勢だった。
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