「思い」と「事実」

先日、このブログで「株で証明しよう」のタイトルで書いたら,大ボラだったのか、夜中に株の数字の夢を見、喘息発作が出てしまった。慌ててその投稿を削除したら、静かに眠った。気が小さくてしょうがない。
読んだ方には申し訳ない。
ところで、このブログで時々、(鍋ガエル)が登場する。「事実」と「思い」の違いから、気が付かぬ間に茹で上がってまいってしまうカエルになぞらえた言葉だ。
養老さんが言うように人は誰でも脳味噌に映った事実(思い)に従い行動する。思いが事実と異なると、違和感を感じ、ストレスになる。今は、ストレス社会が進行しているとも言われるから、人々の思いと、客観的事実とのズレが大きくなっているとも言える。勿論、一般的全体的なことで、個人差は大きい。
経済、政治、教育、国際関係、自然や地球、子供達や我々のこれからのこと。我々の思いと、実際はどのぐらい違っているだろうか?
先の予想は、株でも何でも、歴史(過去のデーター)と現在の実態からしか考えられない。
どのぐらい事実に即しているかによって正確度が決まるのであって(思い)によるのではない。
論理的に言うとストレスの進行する社会の行く末は、ドンドン意外で、想定外のものになるだろうと言える。目印になるものは多いと思うが、私は大人は(命)子供は(育ち)が中心だろうと考えている。
今、大人は命をどう感じ考えているだろう。そして実態とのズレは? 子供達の育ちをどう感じ考えているだろうか。 そして実態とのズレは?  広がっていると思いませんか。  
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