間に合わないのかもしれない

子供そっちのけで、 鳴り物入り 小泉劇場の出し物(選挙)にうつつを抜かす大人達の姿は、車の中の幼児
 のことを置き忘れ、パチンコに夢中になってる親を思い出す と2つ前のブログで書いた。
 夢中でパチンコをやっている途中で、誰かが、気が付いて「大丈夫ですか?」と声を掛けたとします。
「ありがとう」と言われるか「お節介しないで!ウザッタイ!」と言われるか。意外に後者が多いのではないでしょうか。せっかく良い気持ちでいるのだから気分を壊さないで!というところでしょう。
ある飲み屋さんで、偶然となりに座った老人と意気投合しお孫さんの話になった。感じのいい好々爺だった。
お互い職業を紹介しあっていたので、私は「今の子供も大変なんですよ。」と自分たちの子供時代と変わった心配なことをはなしたら、急に不機嫌になって「聞きたくない」というのだ。「事実でもですか?」と尋ねると「気分が悪くなるから聞きたくない」と真顔だった。私は謝って話題を変えた。
あとから考えたのだけど、腕に自信を持ち人生のベテランのような域の人でお孫さんがいても、嫌な現実には耳を塞ぐんだなと思った。若い人ならなおさらだろう。パチンコやお酒だけではない。金儲けに出世に仕事、中には趣味も恋もあるだろう。これらを否定する気は全くない。子供とその運命を左右する地球から逃げないでくれれば。
昨日友達と飲んだ。近くのボックスにご婦人が3人、低学年の男の子と幼児が二人。10時近くまでご婦人達は談笑していた。男の子はひたすらゲームを、幼児二人は椅子の上がったりそこらを走り回ったり。結局、選挙やパチンコと同様の風景だ。
私は考えちゃった。車に置き忘れられた子供がいたら、まずは自分が出してあげることだな。それが出来ない時、次を考えよう。と 
世の中、大人じゃ間に合わないのかも知れない。

  
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