戦争と平和

戦争と平和は反対語のように思っていた。
戦後60年、日本は戦争をしなかった平和な国。総理大臣も時々引用しているし世論調査の結果も同じようだ。ところで今日の日本を平和といえるだろうか。
武力による戦争はしていないが、自殺や病気や犯罪の数、家庭や学校そして地域の壊れ方、人心の傷みはは広く子供にまで及んでいる。
戦争や平和の様相は時代とともに変わる。今は国を挙げて「お金お金」でお金のためにどれだけ犠牲を払っているか。経済きょうそうならぬ毛、ルールなき経済戦争になってはいないか。戦時中、新聞やラジオのメディアは戦意高揚のため戦場の事実とはかけ離れた大本営発表をそのまま報道したそうだし、住民の相互の監視体制もあったと聞く。男の子を産むと表彰されたりご褒美がもらえた話も聞いた。現在もどこか似ていないか。
戦争と平和は対極ではなく、社会の状態を数直線上に表した位置関係ではないかと思う。
だから戦争より悲惨な平和があってもおかしくない。極端な例だが、戦争がなくても地球の荒廃は人類を戦争以上にダメージを与え悲惨にする。
現在の日本の社会は数直線上、戦争と平和がどんな位置関係にあるか考えてみた。
そうすると今日の憲法論議で展開される、 戦争NON=改憲反対 は現実社会へのリアリティが感じられずく説得力に欠ける。まして今日の大赤字を抱えちいさな政府を目指す国が平和のためとはいえここで軍事力を準備するという改憲派の主張も現実からは方向違いを感ずる。
「今」が問題なのに。両者とも、なぜそこから論議しようとしないのか?論議の空回りの落ち着くところは決まったようなものだ。学級会がいい例だ。「今日の日本と地球そして一人ひとりの現実を見よ」だ。
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