世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
終戦記念日
終戦記念日の昨日,新聞・テレビはどこも特集を組んでいた。首相が靖国へ(行った。行かない。)からNHKも憲法9条(改正?)の是非を問う超特番を組んでいた。新聞やテレビで私の目にした主張は是非を問わずどれもしっくりこなかった。
NHKの特番は賛否双方が「アレかコレ」かの狭い2項対立の内向きの主張だと思った。(賛否双方の論者に地球温暖化に立ち向かう自衛軍や防衛軍・地球の集団自衛権や安全保障のジョークでもいいから聞きたかったが、その余裕の一つもない。やけに目がすわってる。2項対立の構図は司会・進行の中に仕込まれてもいた。)
地球全体を月から見た俯瞰図を目の奥に据えて論じている人が私には見当たらなかった。アポロ飛行士は月から地球を見て「地球は青かった。」と言った。今も同じだろうか?
ボウと見ていると殆どは同じかもしれないがよく見ると違っているはずだ。
陸地が狭まり、消えて無くなりそうな島がある。人々の住む陸地も、緑は減り茶褐色が広がっている。雲の流れも激しくなる。どう見てもそこに済む生物、とりわけ人間はどうなるかとまずは心配になる。更に、拡大してみると、豊かそうな北半分は老人が増え、元気のいい子供や若者の姿が減っている。南半分は、子供の数は多いが病気や飢えでバタバタ消えていく。誰が見てもそう見えるし、その事が気になる。40年前のよ」うに暢気に「地球は青かった。」と言えないだろう。
その当たり前の事を念頭にした論評や主張を誰からも感じることが出来なかった。要するに、今地球人が身を守るため最も必要なことは武力を持つとか持たないと言うことではない。
月から地球を見ていると、どっちも暢気で自分の置かれている状況を見ているとは思えない。月から見ているとそれどころの話ではないはず。
今日も庭にすずめが来てる。すずめは周囲を警戒しつつ餌をとっている。すずめの子供も同じ様にしている。外敵も餌をとることも子供を生むことも一体のものとして、その時最も必要な事を素早く行動する。今、人の生命を危うくしているのは、国と国の間の紛争時の事にかまけている場合ではない。
月から地球を見ていると、戦争して勝っても負けても両者が危機に瀕することになる。地球人にとって最も怖いのは外国からの攻めではなく、壊れていく地球と自滅する自らの在り方ではないか?まさに戦争は(昔と違って今は月から見ると、勝っても負けても)人間の自滅の姿でしかない。
よく「現実を見れ」と言う。その通りだが、何が現実か?
「地球が壊れる。人類の自滅。」と少々オーバーに書いたが,私はこのことが将来のことだとか仮定のこととしては考えられない。今日、身の回りで日常的に進行していると思う。その具体的なことや目印は数限りないが、平和で繁栄していると誇示する国が毎日90人からの自殺者を10年も出し続けている事実一つ見るだけでも十分ではないか。このことは、経済成長か格差拡大、とか戦争か平和と論じている場合でないことを意味してはいないだろうか。
生命や家族を脅かすものは戦争だけではないことにそろそろ気が付いてもいいと思う。
月から地球を見ていると、こんなことは誰でも、まず始めに気が付くこと。連日暑さに鍋ガエルをどうしても思い出す。
夜、月が出ていたら月の青さを仰いだ後、
「月から地球を眺めてみよう。」昼間、庭先のすずめを見てその機敏さを「すずめから学ぼう。」と終戦記念日の昨日、改めて思った。