秋田児童連続殺害判決

今日、秋田地裁は被告へ無期懲役の判決を言い渡した。裁判長はその判決で、被告の(心情に汲み取るものがあり)極刑と断じるには躊躇せざるを得ないと判決理由を述べたと報道し

ていた。「躊躇」という至って人間的な感覚が判決に作用したと述べたことにほうとし、共感した。世の中、どこか殺伐とし人間的な感覚が乏しくなってきている昨今の風潮からだろう。どれだけ法や理屈を並べ立てても、人のもって生まれた良心ほど優れた感覚は無いとかねがね考えてきた。良心を守り発揮するために法や制度そして学問や権威もあるはずなのに、現実は逆転していることが多い。判決全体の文脈がどうだったかは分らないが、補足的であっても転倒しない≪人間らしい判断≫が述べられていたことに、救われた気持ちになった。

(教育行政の中枢に、この心があったら、今日のようなことにはならなかったのにとつくずく思う。) 

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皇太子ご一家スキー旅行

これはある女性週刊誌の新聞広告の大見出しである。秋篠宮ご一家が両陛下の元へ足を運ぶのに何故出かけるのかと、疑問(不信)を呈しているようだ。似たような記事はこれまでも何度か目にしてきた。ところで、こんなことがまかり通って良いのだろうか。宮家であろうとなかろうと,言論・出版が自由であろうと無かろうと、人権侵害に関わること。法的に許されるとしても、何とも納得できない。こんなことが放置され、愛国心や国の象徴とは何を意味しているか分らない。そんな理屈より、品の無いメディアの象徴のようだ。こんなことがまかり通っているのに恥ずかしい思いも無くは無い。

ついでだが、「福田政権脳死状態」とか「呆言録、一挙公開」のような見出しも、政権の評価とは異質のものを感じる。

これらの記事が国民にアピールすると言うなら、その国民感情とは何なのかと自省せざるを得ない。

もともとおかしいのか、おかしくさせられているのか分らないが、

何時までも他人のせいばかりには出来ない。子供じゃないのだから。(子供だって何でも許されるわけではない。)

 

 

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