【超】の世界

 何時のころからか、超(スーパー)の言葉が使われ、若い人が、やたらと使うとちょっと耳障りなこともあるが、自分も日記にアメリカは(超・超大国)だったと書いたり、政治権力をもたやすく動かす昔からある大きな権力構造を(超権力)と書いたりしてきた。

 大地震も想定外だから頭に(超)をつけても良いかもしれないが、(想定外)を基準にすると現実には超を付けた方が良いものが意外に多いから、我々は「チョウ(超)よ花よ)の世界を舞っている事になる。

 

 

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  餓鬼の命乞い

 地球にとって大地震は科学的因果の結果だが、人間社会の科学者は(想定外)だと驚いていられる。

 宿狩りが(想定外)と言って驚いても、宿主は如何ともし難い。

 地球の自然と人間は宿狩りと宿主のような1次的な関係があるにもかかわらず、我々人間は、個人と個人・組織と組織・国と国 のような人間と人間の関係が1次的な関係だと錯覚しやすいかもしれない。

 そもそも科学や芸術は(自然に従う)の意味があったと言うし、世界のどの宗教も人間が超人間的存在ある神や自然に従うようにと教えてきた。

  だから、我々はキリスト教で言えば世界が原罪を負った迷える異邦人になり、親鸞で言えば世界が宿業から抜けずに苦しむ餓鬼のようなものかもしれない。

  別に成人君主になることもないし俗人で十分なのだが、放射能を浴びて病気になったり、食い物がなくなったりして野垂れ死にするのだけは、虫けらだって、増して餓鬼の道中にある自分だって泣いて助けを求めるに違いない。

 

 

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