読み取らなければならないこと

今日の朝日新聞の社説隣の読者の声欄に「だまされぬ批判力を育もう」と呼び掛けるこの町に住む同年輩の男性からの1文があった。

 その中で、「戦前は皇国神話にだまされ、今原発の安全神話にだまされた。神話にだまされたということは、誰かだました者、ミスリードした者がいることになる。私は先の戦争も今回の原発をめぐる問題もマスコミには一定の責任は免れないと思う。……敗戦直後映画監督の伊丹万作は「『騙されていた』とい言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう。いや現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。」

の言葉を引用し、声の主は続いて「この言葉通り、私たち国民は、現在まで何度騙されてきただろうか。私たちは報道されていない事実こそ読み取らなければならない。」と結んでいた。

  同じ町に住んでいるんだから、何かの時にでも是非お会いできればと思った。

 社説やその下の(記者有論)よりはるかにリアリティを感じた。

 現役の時、子どもたちに「勉強は何のためにすると思うか?」と問うたことがある。私が心の中で準備していた言葉は(だまされないため)だった。

 

 

 

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