(経済効率)のもたらしたもの

原発事故が安全神話に基づいた(安全より経済効率)の考え方の結果だと言われてる。

 今はその反省の上に、脱原発を含め安全の確保が各界・各層で論じられている。

 論議が今後のエネルギー対策に矮小化されているようでならない。

逆に発想して、 経済効率を優先してきたのは原発だけでなく経済全体であって、この間、環境から社会の仕組み、一人一人の生活まで大きく変え、失われてきたものは多方面に渡り、生命をも脅かす原発事故はその一端ではないのか?

 (国難)とも言えそうな状況下に置かれ、(安心・安全)が損なわれていることは立場を越えて、全ての人のの焦眉の的ではなかったか?

 

 

 

 

 

 

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