カン違いの大元

近くの森林公園へ足が向いた。

娘が子供のころここへよく来たらしく、公園工事がよっぽど辛かったとこぼしていたところ。

入り口から出口まで誰一人と出会うことなく小鳥やカラスの声を聞きながら散策でき、それなりに楽しめた。面白かったのは 自分が記憶している最初の歩くのもままならいで、おふくろの背にラクダ色のかくまきでおぶわれ雪道を歩いた時のことを思い出し、背中で感じていたのはおふくろの無為自然な温かみだったような気がした。

 何時のころからか、あの無為自然な感覚をずーっと忘れ、親不孝したことを同時に気づかせてくれた。

 カン違いの絵の最後に自分がいた。

 

 

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思い違いによる絵

それが 民族や伝統による違いなのか近代の科学や思想による違いなのかは分からないが、私たち人間は自然に克つことは出来ても勝つことは(支配)出来ないのに、支配できるような錯覚に陥いったまま、緑を賛美しているかもしれない。

  

 

                 (思い違いの絵)

この街の誇りは「緑と清流」 市のシンボルはカワセミでだが、ほとんど見当たらない。

 これから、その辺で思い違いの絵を探してこよう。

 

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