マスコミは他人ごとか?

【小沢 元代表無罪判決】と聞いてもどこかスッキリしない。

経過はどうあれ、 この2年半テレビや新聞が罪人扱いしてきた情報の残像を振り払えず扱い兼ねてる自分を意識するからである。

過去の政治経歴や見かけとは別に時代感覚の特別悪い橋下大阪市長と(周波数が合う)とまで言う政治家としての小沢氏は受け入れ難いのだが、今回の政治資金規正法違反に関しては、検察とリークしながら政治生命を絶たんとばかりに2年半にわたって糾弾し世論形成してきた検察やマスコミから一言もないのは如何なものか。

 立証できない有罪を、だからと言って誰であっても無罪を立証できるはずはない。

  

 有罪にしろ無罪にしろ、予め推定された判断を覆すのは無理である。何故なら認識は本人が変えない限り他人が変えることは出来ない。要するに疑ってかかればきりがなく、完全ではなくても公的な法律などで処理するするのが社会の約束事であって「法治国家」と言われる所以ではないか。

 民主主義の要件は中身と手続きが相まって初めて言える概念。

手順や手続きを無視して( あくまでも)と追及するのは民主主義や法治国家的な感覚とは相容れない。不本意ではあっても謝るべき人が謝らないと、よその国の事を民主主義云々で批判出来るだろうか?

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )