手の内を明かさない支配者

人間社会は民主主義であれ何であれ手の内を見せては支配は成り立たないのかもしれない。

今回のアルジェの事でも、安倍のミックスも全く腑に落ちず,意図の全体的なイメージが描けない。

そんなことがあまりに多いから、支配とはそう言うものかと思ってしまう。社会が納得しているかのように動いているのが不思議でならない。もし、分からないのに分かったかのように振る舞っているとすれば、私たちは「裸の王様」の町の人を演じている事になる。 誰でも良いから見えない物は見えないと、あの子供のように言えるといいのにと 思ってしまう。

 

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伝えられない新植民地主義

「新植民地主義」は死語になったのだろうか?

私は高校の「社会科社会」の教科書で「新植民地主義」を教わった。あれから50年以上もたつが新植民地支配が無くなったと言う情報に接したことが無く、むしろその実態を映画や小説を裏付けるような形で紛争やテロの言葉を用いて世界のあちこちで継続的に展開されてきたように思われるのだが…配信され世界を覆うマスコミ情報は全くそれに触れないから、頭の中の絵がまとまらないだけでなく、教科書で教わった時とは違い、いつの間にか自分たちが支配する側に立っている。

どんな社会的事象も原因や背景がある筈だから、それも合わせて報道して欲しいものだ。それとも都合の悪い事でもあるのだろうか?

 

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