ひたすらやっている愚な役

 

     昨夜、芝居を見てきた。開拓時の釧路を舞台にした樫山ふみえさんの演技に感動し涙が溢れた。

     (星のかけら)は 見ている私をも小さなドラマの1役として見ていたに違いない。

     無造作に新聞やテレビを見ている自分は 大きなドラマの中ではどんな役を果たしていることか?

     目の前の小さなドラマにうつつを抜かしている自分は 大きなドラマの中ではいつのまにか愚かな役をひたすらやっている。

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  追随し過ぎ

 

首相は「 日本の原発の安全基準は 世界最高。」だと、国民に安全をアピールする為に、「世界を」引き合いに用いる。

  『世界の常識、日本の非常識」のように、世界を引き合いにして他人を納得させるの手法は日本では広く用いられてきた。

   世界の後進国として世界の近代に参加した日本にあっては当然かもしれない。

   ただ、現在のグローバル化した世界にあって、抽象化した『世界』を引き合いににしてどれだけの妥当性が保障されるだろう?

     世界の政治・経済が行き詰まり混乱し出口を探っている中で、世界を基準に用いることは、出口さがしでも周囲の動きに追随した、後進国的な発想ではないだろうか。

 世界Ⅰの借金・自殺大国 ・加えて、世界に類を見ないぐらい大量に生み出した学校や社会への不適応児・者

   ある意味で、世界の行き詰まりの最先端を走っている先進国のような日本が、いつまでも世界を基準にしてものを考え行動していていいものだろうか?そろそろ、自分の頭で考え行動する 段階ではないか。

 

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