他人事ではない

 

  喧嘩ばやい人間や喧嘩好きな人間は 嫌われるのに

  為政者の敵対する者への口汚なさは 世界はどこも同じか。

   敵対も立場の違いだろうに、少々の礼儀はあってしかるべきではないか… これは倫理の問題か社会認識の問題か?

   どこもかしこも二手に分かれてやりあっているようにも見える。〇×式テストのせなら 他人ごとでない。

   

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情報のグローバル化を期待

 

     100年以上も前に 石川啄木は大自然を 宮沢賢治は宇宙を背景に ものを見たり語ったりできたのに 文明や教育が発達したと言われる

   中で生きてきた私たちが 彼らをなぞることも出来ないのは どうしてなんだろう?

   どこで「文化の継承」を間違えたのか生きてる(場)の視野が狭くなっているかもしれない。 小さな箱を覗き込むのは 自然か?

   一方、マスコミや通信機器の発達は、天気予報をはじめ政治・経済を俯瞰し実感し易くもしており マスコミの恣意的な報道とは別にグローバルな認識を助けており、そこに期待。

   

   

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大きくなるズレ

 

  「商売繁盛」はともかく「家内安全」は 特にこの時代が求める 万人の避けられない1番の願いだろう。

    隣近所や職場や学校はもとより 家族の絆の確かめさえこれほどまでに難しくしている時代が かつてあったろうか?

   にもかかわらず 世は 相変わらず安全保障だと言って、真っ先に軍隊を用意し、家内安全は祈願に頼っている。

    安全に対する政治や社会思想が人々の実態である願いから遅れ ズレが大きくなっているような気がする。

   

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