聞こえない言葉





2015年 最も心に残った言葉は フランシスコ ローマ法王の「地球と弱者からの搾取を止めよ。」だった。

   残念なのは その声が聞こえないかのように 世界のどこからも(こだま 木霊)が 返っててこない。

   勝手な解釈かもしれないが この言葉に通じるような言葉すら 他に思い出せない。

  世界の識者や特別な人でなくても 近所の子供やお爺さんばおあさんからでも 山彦が聞えてこないか… 

  実態とは関係なくやたら聞こえ拡散する言葉と 聞こえず消えていく言葉があるようだ。
  
   伝わる言葉と伝わらない言葉 言葉が伝えるものと伝えられないもの。

  

    もともと 《言葉》とは そういうものかもしれない  。 
   

 ローマ法王の言葉は 心までは届かなかったのだから 学者や「先生」方は付け足しぐらいしたって良い。

     そんなことも 気が付かない!
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一人一人が問われてる





     
  世がどうあろうと 世への適応と生まれ持った本性との間に どんなに矛盾が生じても ヒトは 自分や家族の為に そこで


生きる他ない。

  一人一人が問われているのは そこではなく 抱える矛盾の中にあって 自分や家族の為に出来ることをするのか 



他人に丸投げするか ではないだろうか。

   

   

  

   
 

   
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