確かなこと




(大袈裟なことは百も承知で )

    人類は戦争であれ何であれ手段を選ばず 自然である地球や人を壊しているような気がする。
      
全体は 何時までも続けられるはずもなく 出口に向かっていることは確かだ。
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渦中の人



    自然無しに社会は成り立たず、

    個人もまた 自然の本能なしには生きられない。

      人は人材として社会に用いられ社会生活を営む。

     仮に社会が自然を犠牲に成り立っているとしたら 個人もまた 生命を犠牲にせざるを得ない。

     今は どうなっているだろう?

    人に本能に反した度を越した行動を求めると 個人は生命力を落とし生命的な危機感を覚えるだろう。

     生き抜くため社会や他からの求めを拒否しもがき探索する。

         世界には どれだけの人が この渦中にいるだろう?
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想像に壁は無い




想像に壁は無い。
  
本能的な統合感覚からすると 戦争も平和も生きるための経済活動の形であって 次元を異にするものではない。

   人類の経済活動としてとして 戦争や平和をひっくるめて地続きの絵として想像した方が見易く 意味も分かり易い。

   平和や戦争の異なった極から軍需産業や戦争を捕らえていては 生き方としての経済活動を論じたことにならない。 

   その意味では戦争や平和 生き方としての経済は 政策もなく論じられてもいないのではないだろうか。
  
   人々は 自らの想像に壁を作ってはいないだろうか?
   
    壁を越えて世界を広げることが 生きてる意味ではないだろうか。
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