歴史的な1コマ

  

   買収、売春、脱税、醜聞、失言のベルスコニー 氏 (イタリア首相 )の辞意。

  どうして、国を借金まみれにしスキャンダルだらけの首相が20年間も実権を握っていられたか?

 彼は財界にあって巨万の富をもち、「メディア王」と呼ばれていた。

 自らが権力の後ろ盾であり、メディアをも掌握していたからに他ならない。

 この権力構造は、イタリアに限らず、世界や国際関係も同じに見える。

 意地悪ばあさんの青島幸雄氏は実権を握っているかに見える政治家を「男妾」と言ったのを思い出す。

 後ろ盾の(旦那)や(大旦那)とそれを持ち上げ歌い踊る(太鼓持ち)のいる座敷に上げて貰えない庶民は、彼等のお蔭で飯を食っている弱みを知っているからか、褒め称えたり文句を言いながらも従わざるを得ない。 そんな連想の絵が頭に浮かんだ。

 イタリア首相の退陣劇は、現代の世界の経済と権力構造を象徴的に表した歴史的な1コマではないか。

  

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怖い「バカの壁」

地球傷んでいて人間だけが傷まない筈がない。

地上はどこも温暖化し、吸収できない有害物質をたえず輩出しているのだから、周囲の植物も生物も変化し被害を受けている筈である。

ただそれを感じ認識できるかどうかは別問題で、果たして私たちの感度は? こればかりは養老氏も学者も専門家も能わない。

ただ、この件に関しての「バカの壁」は環境に適応できないでいる人間をも意味するから、もしその場合は我々は自然淘汰の対象になる。…なんて暇に任せてとり止めなく連想にふけっていた。(年寄りの暇は良いもんだ。)

 

 

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逆向きのチャレンジ

橋下氏が(大坂都構想)を掲げるのは、東京を成功例と見てもう一つと考えているからではないだろうか?

   東京砂漠をもう一つ増やして大阪も砂漠にしたいのだろうか?
  
     今日の日本を見て東京を砂漠にした意味をどこに見い出だしているのだろう。

  dozi dozi は、東京は日本が作った大失敗の例だと考えている。

   東京郊外のこの町で、今年はトンボを1度も見なかった。自殺者は月平均3人、不登校と発達障害の児童生徒はそれぞれ200名を超えている。

   シャッターー街は増え、住宅団地は特に年寄りが多く、買い物に窮する人も、廃校と学校建設が同時に進む。

  東京砂漠は都民から自然環境と自然な暮らしと自然な心を奪った。やがて、都民と企業は東京から抜け出すだろう。

  

  

 

 

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大坂の選挙

 

【橋下陣営の勝利】

朝日新聞の2つの面使っての橋下氏を良く見せる宣伝的な報道ぶりから選挙結果が連想された。

(同様の東京の知事選は、選挙前から結果が分かっていたようなもので、速報3分後に【当確】が出た。)

 

 

 

 

 

 

 

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新しい時代

 

政治のⅠ元化と文化の多様化ついて考えてみた。

(現在)は、国家や企業間の経済競争が生み出す政治の多極化(あるいは無極化)と、、競争社会が生み出した文化の画一化が目につく。

 しかし、グローバル化の内包する競争の矛盾によって、国境の垣根は低くなり(やがて)政治はⅠ元化に向かい、逆に文化は自然環境多様性やや自然の成り行きとも言える個の確立と合わさって多様化するだろうと思う。

 (現在)と(やがて)の距離が分からない上、社会の深層と表層の変化の違いもあるから確認は難しいが、新しい時代への変化とは そう言うものだと思う。

 

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ご都合的な「国益」

「国益」の言葉をよく耳にするが、議論を離れて国益を中心に考えている党派や個人がいるのかと、率直に思う。

ほとんどご都合的な(言葉のあや)で使われているような気がしてならない。

 立場を中心にそれが国益につながると考えるのと、国益を中心に己の立場やあり方を考えるのとは、主観的には似ているが同じではない。

 空間の全体認識(コア心理)は個人も社会も歴史的な経過をたどるものであって、口にするほど 簡単に広がるものではない。

 

 

 

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無意味な意味

経済が瓦解し始めた世界にあって、先のG20も国内の復興を含めた経済対策も期待とは異なった結果になるのではないか?

それでも、大きな歴史の中でホモサピエンスが答えを得るための消去法的な試行錯誤の努力として、大きな意味を持たせたい。

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分かりにくい理由


世界も日本も政治・経済が 混乱しているのにその背景は、分かりにくい。何故か?


国の内外を問わず経済対策は極論的には(社会保障と増税の一体改革)が端的に言い表しているように、国民への奉仕を縮小(小さな政府)するか増

税かの選択である。

          (経済成長の戦略)もとってつけたように言われるが、状況的に実効性に乏しい。

経過を見ると、これらの政策はいずれも「経済を成長させよう」と一生懸命働き、稼ぎ頭である国の内外にある【財界】からの強い要請に端を発してる。

結局、(政治)と言っても、財界の要請をどう具体化するかの話になるのだが、それも仕方ないのかもしれない。

 ただ、政治やマスコミ報道の意味の不明さは政策の(主語・)を抜いたり、民意の陰に(主体)を隠したりしている事に尽きるのではないかとさえ思う。

 隠す必要があるだろうか?

 

 

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流れの速さ

   世界は 経済対策でやった借金で首が回らなくなってきている。

   しかし、相変わらず金融で解決しようとしとしている。これではギリシャどころではない2番手3番手4番手…が待ち構えている、と言うのに。

  こんなことを見ているとつい、全体がハイパーインフレ下の恐慌的不景気に陥り、一斉にシャッフルして債権放棄し貨幣を切り下げる(出直しの絵)が思い浮 かんだ。   

  経済が落ち込んでいるのは 産業の在り方に問題があるのであって、金の貸し借りでふたをしても 経済を引き上げるものではない。

 余力のあった時代はまだしも、現在はその余裕もない。

 白日夢のような忌まわしい想像も、世界が出直す大事な一里塚だと、前向きに考えようとしている。 

 夜明けの前に換物の流れは 想像以上に早く来るかもしれない。

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癖になった思考様式

現代文明の専門化は統合力を失い、わだちから出られないでいる。

ギリシャの債務・中東紛争・原発・TPP・環境…   切りなく続く。

全体を統合無しの(部分思考)の癖。

「変えられないから癖なのだ」と開き直れるならいいのだが…

 

 

 

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