あの星の不思議な話

 

    あの☆は

    最も幸福を願っているヒトビトが 予想される災害をさておいて ある事・無い事を宣いながら、弱肉強食に狂奔し殺し合いにまで発展させている。

   

   

     

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ひたすらやっている愚な役

 

     昨夜、芝居を見てきた。開拓時の釧路を舞台にした樫山ふみえさんの演技に感動し涙が溢れた。

     (星のかけら)は 見ている私をも小さなドラマの1役として見ていたに違いない。

     無造作に新聞やテレビを見ている自分は 大きなドラマの中ではどんな役を果たしていることか?

     目の前の小さなドラマにうつつを抜かしている自分は 大きなドラマの中ではいつのまにか愚かな役をひたすらやっている。

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  追随し過ぎ

 

首相は「 日本の原発の安全基準は 世界最高。」だと、国民に安全をアピールする為に、「世界を」引き合いに用いる。

  『世界の常識、日本の非常識」のように、世界を引き合いにして他人を納得させるの手法は日本では広く用いられてきた。

   世界の後進国として世界の近代に参加した日本にあっては当然かもしれない。

   ただ、現在のグローバル化した世界にあって、抽象化した『世界』を引き合いににしてどれだけの妥当性が保障されるだろう?

     世界の政治・経済が行き詰まり混乱し出口を探っている中で、世界を基準に用いることは、出口さがしでも周囲の動きに追随した、後進国的な発想ではないだろうか。

 世界Ⅰの借金・自殺大国 ・加えて、世界に類を見ないぐらい大量に生み出した学校や社会への不適応児・者

   ある意味で、世界の行き詰まりの最先端を走っている先進国のような日本が、いつまでも世界を基準にしてものを考え行動していていいものだろうか?そろそろ、自分の頭で考え行動する 段階ではないか。

 

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判断基準

 

     目に余る社会世界や日本)の混乱ぶりは目先に振り回されてのことだから、社会的事象や考え方に良し悪しの分かり易い判断基準を設けるとしたら、

     1、自然の理に敵っているかどうか。

     2、子どもや孫の代にとって良いかどうか。

              ではないかな。

  

    

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私はどっち?

 

     地上は 氷山が崩れ 緑が薄れ 死に絶え生物が増え続けているのに

   ヒトは 相変わらずGDPを追い求め 平和のために武力を用意する。

    本気で 平和と豊かさを求めたら良いのに…。   目先の欲に翻弄されているヒト以外は 皆、そう思っている。

 

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今、まともに歌えるか?

 

     ぼく等はみんな生きているいる…

      トンボだってカエルだーって ミツバチだーって

           みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ~

      アンパンマンの やなせ たかしさんが作詞した「手の平を太陽に」を 子供たちとよく歌ったもんだが 今は あの時の様に歌えるだろうか?

        トンボもカエルも ミツバチもさっぱり見なくなった  子供たちの友達が 姿を消したのは ちゃんと 生きていられないからだ

       私たちは こんな歌も歌えないほどに 世の中を 変えてしまったのか

          

            これを 先祖様も お★さまも 見落とすはずがない

 

        

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怪訝そうに見ている星のかけら

 

    違法な暴力を違法な暴力で裁けるのだろうか?

     テロが勢力を成す前にやるべきことは無いのか?

     ヒトのやってる事が どうも分からない。

 

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星のかけら 曰く…

 

    ヒトは何を考えて自らの棲家を壊し、ある事ない事を宣いながら、競い争いバタバタしているの? 

                  

   

  

   

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神に国境は?

 

 全ての存在が 自然に依拠している事を考えると  「神」は超人為的存在である自然を 宗教的に表現した言葉ではないかとも考えられる。

   神や仏の名で思考停止し、神に国境を設け勢力の旗印にして囲ったり争ったりするのは 宗教の本質と相容れるだろうか?

   

 

   

       

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理と利

       【理】と【利】が 一致しない場合、【利】をとると【理】に反するのは当然である。 

      人類と言えども、【理】に反しては 何時までも生き続けられないのに、止めようとしない。 

      人類は 地上で存在できるかどうかの根本的な価値観が問われて久しいが、その声は ほとんど聞えない。

       全ての分野の全ての人から聞こえて良い筈の声が聞こえてこない。

       それは 単なる環境保護や自然への畏敬や賛美の声ではない。

 

 

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