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仕事の流れで、ファミリーレストランに入った。めったに利用しないが、車数台の移動のため必然的に駐車場が広い店を選ぶことになる。土曜日の昼時ともなれば家族連れで賑わっており、案内された席の隣では小学低学年の子が食事もそこそこにゲームに夢中だ。よく見る光景だが、そのうちテーブルに足を上げた。それも靴を履いたままである。親は食事を残したことを注意する様子がないばかりか、足を上げたことを叱ろうともしない。
所は変ってニューヨークのクラブ。席に着くなり純白のテーブルに足を投げ出して演奏を聴きはじめた男がいた。ボーイが飛んできて注意をしてもそ知らぬ顔だ。ボーイがうるさく言うと、今度は同席していた男が怒った。「この男は天才なのだ。ほっとけ!」と。足を投げ出したのは天才バド・パウエルで、ボーイに怒ったのは奇才セロニアス・モンクである。その天才が師である奇才に捧げたアルバムが「ポートレイト・オブ・セロニアス」で、ジャケットを飾るアブストラクトな絵はパノニカ男爵夫人が描いたものだ。天才と奇才を視覚的に表現するならこの絵のように明暗が重なりながらもくっきりと明が現れ、そしてそれが全体の極一部に過ぎないのであろう。
61年パリのライブ録音で、ヴァーヴやブルーノート時代の神がかったプレイや並はずれたテクニックは聴けないが、天才ではない人間的な味わいがある。パーカーと並び天才破滅型のパウエルは、絶頂期に比べ晩年の作品となるとパウエル信者といえど封印したくなるアルバムもあるようだが、そんな演奏でさえも凡百のピアニストにはない輝きがあった。ピエール・ミシェロとケニー・クラークをバックにモンクの作品「オフ・マイナー」から始まる熱気に満ちたライブは、中盤の「ノー・ネイム・ブルース」の出だしを間違えて弾きなおす。天才がマイナーで無名のピアニストになったかのような演奏ではあるが、やはり他をよせつけない天才だけが持つ魅力に溢れている。
件のレストランでウェイターを促し注意をさせると、「ほら怒られたでしょう」母親である。父親はどこぞの国の首相のように他人事のようだ。この親子はマークス寿子さんの著書「とんでもない母親と情けない男の国日本」を読んだほうがよかろう。
所は変ってニューヨークのクラブ。席に着くなり純白のテーブルに足を投げ出して演奏を聴きはじめた男がいた。ボーイが飛んできて注意をしてもそ知らぬ顔だ。ボーイがうるさく言うと、今度は同席していた男が怒った。「この男は天才なのだ。ほっとけ!」と。足を投げ出したのは天才バド・パウエルで、ボーイに怒ったのは奇才セロニアス・モンクである。その天才が師である奇才に捧げたアルバムが「ポートレイト・オブ・セロニアス」で、ジャケットを飾るアブストラクトな絵はパノニカ男爵夫人が描いたものだ。天才と奇才を視覚的に表現するならこの絵のように明暗が重なりながらもくっきりと明が現れ、そしてそれが全体の極一部に過ぎないのであろう。
61年パリのライブ録音で、ヴァーヴやブルーノート時代の神がかったプレイや並はずれたテクニックは聴けないが、天才ではない人間的な味わいがある。パーカーと並び天才破滅型のパウエルは、絶頂期に比べ晩年の作品となるとパウエル信者といえど封印したくなるアルバムもあるようだが、そんな演奏でさえも凡百のピアニストにはない輝きがあった。ピエール・ミシェロとケニー・クラークをバックにモンクの作品「オフ・マイナー」から始まる熱気に満ちたライブは、中盤の「ノー・ネイム・ブルース」の出だしを間違えて弾きなおす。天才がマイナーで無名のピアニストになったかのような演奏ではあるが、やはり他をよせつけない天才だけが持つ魅力に溢れている。
件のレストランでウェイターを促し注意をさせると、「ほら怒られたでしょう」母親である。父親はどこぞの国の首相のように他人事のようだ。この親子はマークス寿子さんの著書「とんでもない母親と情けない男の国日本」を読んだほうがよかろう。
ジャズを普段お聴きにならない方でも一度は耳にしたことがある「クレオパトラの夢」、名盤揃いのヴァーヴやブルーノート、晩年のパリ時代、好不調の波が激しいパウエルですが、不調のときでも心打つ作品を残しております。今週はパウエルのお好みのアルバムをお寄せください。
管理人 Bud Powell Best 3
Jazz Giant (Verve)
Amazing Vol.1 (Blue Note)
Portrait Of Thelonious (Columbia)
久しぶりに悩みました。(笑)
今週もたくさんのコメントをお待ちしております。
バドは、好きなので結構集めました。
初めに聴いて一番気に入っていたものが、数年たってから聴いてみると、一番ではなくなったりしています。また何年かして聴いたら変わっているかもしれません。
絶頂期といわれる頃は鬼気迫るものがあり、それも魅力ですが、どこかエレガントなものを感じるような演奏もいいなあ、と思います。
The Genius Of Bud Powell (verve)
Jazz Giant (Verve)
Birdland 1953 The Complete Trio Recordings (ESP)
ところで、私のホームページのアドレスが変わりましたので、よろしくお願いします。
http://members3.jcom.home.ne.jp/bird.m.i/
思えば最初にパウエルを聴いたのはクレオパトラでして、高校生の頃はこれが一番でした。今でも魅力あるテーマですが、聴きこむうち変わりますね。
やはりジニアスがきましたか。今回はレーベル別に選びましたが、ヴァーヴではジャイアントと迷いました。ジニアスも素晴らしアルバムですが、バディ・リッチが入ったセッションは違和感があります。やはりパウエルにとってローチ以上のドラマーはいなかったのでしょう。
ESPのバードランドは、Winter Sessions と Spring Sessions に分かれて出たアルバムですね。こちらはペティフォードとヘインズがバックのセッションがいい内容です。
ホームページのアドレスが変ったのですね。先日ジャンプしなかったので、トラブルかと思い心配しておりました。今宵のジャズギャグでも考えますか。(笑)
特に、ここ5年ぐらいに限って言えば、
パウエルを聴いた回数よりも、jAKI bYARD を
聴いたそれのほうが多いかもしれません。
春夏秋冬さんあらりからは、
「モダン・ジャズピアノの原点を聴かないで、どうする?」
と、お叱りをうけそうです。
手持ちも、10枚のみ。
BNのアメイジング・シリーズは一応全部持ってますが、
VOL.1のウンポコ3連発に象徴されるように、どうも
アルバムの構成が気に入りません。
比較的よく聴いたのは、VERVE の
「BLUES IN THE CLOSET」と「JAZZ GIANT」の2枚。
残る1枚は、少ない手持ちを聴きなおして、決めましょう。
パウエルには、特別な思い入れがあり、若い頃ジャズ喫茶で何度もリクエストをした事を思い出します。
どのアルバムにも思い入れがあり、順位をつけることなどとてもできないのです。
と言う訳で反則ですがジャズ喫茶でかなり聴き込んだ後に購入したアルバムを挙げさせていただきます。
最初に購入したのは、「ジャズ・ジャイアント」
全てが最高!!パウエルとは?と尋ねられた時に紹介するアルバムです。
次に購入したのは、「ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル」
後年、秋吉敏子やバリー・ハリスがレコーディングする名曲「オブリビオン」の決定的名演が昔から気に入っています。
3番目に購入したのは「ストリクトリー・パウエル」
ここに収録されている、ゼアル・ネヴァー・ビー・・・何回聴いたかわからないほどです。
ベースとドラムもよい。この時期のパウエルを一番理解している2人だ。
余談ですが、私の店では開店後すぐにパウエル、次にモンクをかけております。
この2人を聴かないと一日が始まらないのです。
ここ5年ぐらいでは私もそう多くは聴いていませんが、ひところは毎日のようにターンテーブルにのりました。
ウンポコ3連発はこのアルバム構成ゆえ変幻自在のパウエルを堪能できるものと思います。ローチとの凄まじいインタープレイはウ~ンと唸ります。
「BLUES IN THE CLOSET」は、内容は勿論のことジャケが素晴らしいですね。
>「モダン・ジャズピアノの原点を聴かないで、どうする?」
典型的なパウエル信者の発言ですね。5年もすると 25-25 さんのように jAKI bYARD を聴き、私のようにセシル・テイラーを聴くようになります。(笑)
春夏秋冬さんで思い出しました。先のコメントのESPのバードランドは、Summer Sessions と Autumn Sessions もありました。5年もすると忘れます。(笑)
ジャズ喫茶で皿回しの経験がある方が一番多く聴いたのはパウエルであり、最も聴いたのはクレオパトラでしょう。
「ストリクトリー・パウエル」もいいですね。この時期のパウエルを一番理解している2人とはジョージ・デビュブユエ・・・いまだに発音ができません(笑)とアート・テイラーですね。パウエルをさりげなく引き立てるバッキングは見事ですし、当然テクがあってのものです。ローチにしてもパウエルに付き合うにはテクが必要なことがわかりますね。
紹介したアルバムでもゼアル・ネヴァー・ビーを弾いております。こちらもなかなかのものですよ。
私にとっては、このアルバムがぶっちぎりの第一位です。アップテンポもバラードもすばらしいのですが、中でも「アイ・シュッド・ケア」の絢爛たる浪漫性(ロマンティックではピンときません)にはいつも陶然とさせられます。
あとの2枚はのちほど。
ルースト盤が登場しましたね。必ずや挙げられる1枚と思っておりました。国内盤「バド・パウエルの芸術」というタイトルが相応しいまさに芸術品です。53年の録音も収録されておりますが、やはりローチと組んだ47年のセッションは不滅の価値を持つものでしょう。
「アイ・シュッド・ケア」の絢爛たる浪漫性とは素晴らしい表現ですね。「インディアナ」を訳すと「神業」なのだろうと唸ります。
「インディアナ」が「神業」ですか?
じゃあ、異題として「F1」じゃダメですか?