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今月9日に亡くなったチック・コリアの初期作品はジャズの聴きはじめだったこともあり熱心に聴いた。田舎のジャズ喫茶もどきにもあったブルー・ミッチェルの「Down With It」に、ハービー・マンの「Village Gate」、スタン・ゲッツの「Sweet Rain」、ディジー・ガレスピーの「Jazz For A Sunday Afternoon」。サイド参加とはいえ主役に負けない閃きのソロが聴ける。
そして、アトランティックの傍系「Vortex」レーベルからリリースされた「Tones For Joan's Bones」。ジョー・ファレルとウディ・ショウとの絡みが面白いし、初リーダー作とは思えないほどアイデアが詰まっている。ジャケットは一度見たら忘れられない当時流行りのサイケデリック調だ。次にミロスラフ・ヴィトウス、ロイ・ヘインズと組んだ「Now He Sings, Now He Sobs」。聴いた瞬間、ピアノトリオの名盤に数えられるアルバムだと直観したし、A面2曲目の「Matrix」は多くのピアニストがカバーする名曲だと思った。事実そうなっている。
この後マイルスの「Filles De Kilimanjaro」、「In A Silent Way」、「Bitches Brew」というマイルスにとって大きなターニングポイントになる作品に参加し、フェンダー・ローズの魅力を最大限に引き出した。次いでアンソニー・ブラクストンと組んだ前衛ジャズの傑作「Circle」、そして新たなジャズファンを獲得した「Return to Forever」という新世代バンドの結成。ジャズシーンが大きく変わった時だ。72年にゲイリー・バートンとのデュオ。78年には盟友ハービー・ハンコックとのデュオ。2007年には上原ひろみと共演・・・常にシーンを賑わしてきた。
改めて初期作品を取り出すとソニー・スティットの「Stitt Goes Latin」、ジャケ買いのデイヴ・パイク「Manhattan Latin」、ヒューバート・ロウズ「The Laws of Jazz」、カル・ジェイダー「Soul Burst」、アングルの名画「トルコ風呂」をジャケットに使ったピート・ラロカの「Turkish Women At Bath」と多種多様な名盤が並ぶ。多くのミュージシャンに愛されたチック・コリア。享年79歳。合掌。
そして、アトランティックの傍系「Vortex」レーベルからリリースされた「Tones For Joan's Bones」。ジョー・ファレルとウディ・ショウとの絡みが面白いし、初リーダー作とは思えないほどアイデアが詰まっている。ジャケットは一度見たら忘れられない当時流行りのサイケデリック調だ。次にミロスラフ・ヴィトウス、ロイ・ヘインズと組んだ「Now He Sings, Now He Sobs」。聴いた瞬間、ピアノトリオの名盤に数えられるアルバムだと直観したし、A面2曲目の「Matrix」は多くのピアニストがカバーする名曲だと思った。事実そうなっている。
この後マイルスの「Filles De Kilimanjaro」、「In A Silent Way」、「Bitches Brew」というマイルスにとって大きなターニングポイントになる作品に参加し、フェンダー・ローズの魅力を最大限に引き出した。次いでアンソニー・ブラクストンと組んだ前衛ジャズの傑作「Circle」、そして新たなジャズファンを獲得した「Return to Forever」という新世代バンドの結成。ジャズシーンが大きく変わった時だ。72年にゲイリー・バートンとのデュオ。78年には盟友ハービー・ハンコックとのデュオ。2007年には上原ひろみと共演・・・常にシーンを賑わしてきた。
改めて初期作品を取り出すとソニー・スティットの「Stitt Goes Latin」、ジャケ買いのデイヴ・パイク「Manhattan Latin」、ヒューバート・ロウズ「The Laws of Jazz」、カル・ジェイダー「Soul Burst」、アングルの名画「トルコ風呂」をジャケットに使ったピート・ラロカの「Turkish Women At Bath」と多種多様な名盤が並ぶ。多くのミュージシャンに愛されたチック・コリア。享年79歳。合掌。
キース・ジャレットほどではありませんがチック・コリアに拒否反応を示す人はいるようです。私の世代ですとナウ・ヒー辺りまで支持してもRTFやサークルは否定する方が多いようです。私もRTF以降は熱心ではありませんが、新作が出ると必ず聴いていました。型や枠にはまらない自由さがいいですね。仰るようにフレーズにブルース味は薄いですが、それが逆に新鮮だったりします。初期はラテン系のミュージシャンと共演する機会が多かったので、スタイルもその辺りから形作られたのでしょう。
マイルスの方向性を示唆し、シーンを先取りした素晴らしいミュージシャンでした。ピアニストとしてはやはりマトリックスに尽きます。
飲食店に出されていた22時までの時短営業要請も今月で終了しますので、ススキノも少しずつ賑わいを取り戻すでしょう。そう願っております。落ち着いたらまた札幌にどうぞ。
新しい記事を拝見するのが遅く、遅いコメントで失礼いたします。
チック・コリアですが、実は僕は苦手で、代表的なアルバムは何枚も持っていますが、よく聴いていたわけではありません。コリアは、もちろん優れた音楽家ですが、リズムが前のめりで、フレーズにブルース味が薄いので、馴染めないままです。
近年、小曽根真とのデュオを目の前で聴きましたが、そのサウンドの素晴らしさには舌を巻いたものの、先の印象は変わりませんでした。
チック・コリアが好きで、ずっと聴き続けている人は幅が広い方だと思っています。いろいろなブログなどを拝見していると、チック・コリアのファンはかなり多く、僕は特殊かもしれません。
いずれにしても、ジャズにとってたいへん重要なピアニストだったわけであり、彼の功績はもちろん大きなものがあります。ご冥福をお祈りします。
チック・コリアはピアノに向かってひたすら弾く印象ですが、エンターテイナーなのですね。それにジョークを連発とは驚きです。私が聴いたビル・エヴァンスやエロール・ガーナーは寡黙でしたが、アール・ハインズはジョークを飛ばしていました。そうそうデューク・ジョーダンとは打ち上げで飲みましたが、冗談は言わなかったですね。
チック・コリアと立ち話をされたとは羨ましいです。生を聴きたかったのですが、残念ながら機会を逃しております。「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」はリアルタイムで聴いていますが、衝撃でした。チックのスピード感のあるソロは勿論ですが、ヴィトウスのベースラインは斬新で驚きました。翌年に出た「Infinite Search」のフリーダム・ジャズ・ダンスも素晴らしいですね。
作品の良し悪しはプロデューサーの手腕にかかっていますが、当時のソリッド・ステートのプロデューサーはソニー・レスターでした。ジャズの先を読む人ですので、ヒットにつながったのでしょう。「まだ無名だった僕・・・」とはチックは謙虚ですね。記事で紹介しましたように「ナウ・ヒー・シングス」以前に多くのサイド作があり、相当有名で、多くのミュージシャンが起用したいピアニストだったことは間違いありません。
チック・コリアは年代ごとに好みが分かれますが、皆さんはどの時代がお好みでしょうか。
油井正一氏の著書「ジャズ・クイズ・ブック」に、「韓国製整髪料」とは誰か?という問題がありました。
ジャズ喫茶でサラ回しをしていたとき、氷屋さんが配達に来ると、常連さんが「チック氷屋が来た」と言っていました。こりゃあ参った。