世間では「疑惑の王座」などと騒いでいるが、亀田興毅には泣けた。
「オヤジのボクシングが世界に通用することを証明できて嬉しい」と亀田興毅は泣きながら叫んだ。そして、「オヤジありがとう!」といい、「お母さん、産んでくれてありがとう」と続けた。公の場で母に呼びかけたのは、たぶんはじめてのことではないか。幼い頃から黙々と働いてきた長男がその責務を果たし、「浪速の闘拳」から等身大の少年に戻った一瞬だった。チンピラスタイルにサングラス、ヤクザもどきの眼飛ばしと粗野な言動で売り出す以前、両親が離婚せずまだ母が家にいた頃の亀田興毅は、前髪を額でそろえたボブカットの女の子のように可愛らしい子どもだった。これで名実ともに日本ボクシング界の長男になった。同時に、一人の少年にこれまで以上の苦難が背負わされた瞬間でもあった。
たがいの脳と内臓を破壊し合うボクシングほど残酷なスポーツはないだろう。しかし、それ以上に残酷なのは、家族の夢と欲望とメディアや興業の貪欲のすべてを選手が一身に引き受け、その栄光が破綻していく姿が衆人に晒されて娯楽になることだ。現在の「亀田バッシング」とは、そうした残酷見世物の第一幕が上がったことを意味する。そして、長男・興毅は、「オヤジのボクシング」であるピーピングトム・ガードに身を固め、ベタ足で接近戦に持ち込むという、軽量級にあるまじき非合理な戦法を続けて、無惨に負けていくだろう。オヤジに殉じ、弟たちの捨て石になるつもりなのだ。それが粗暴な外見と言動に隠された亀田家の家族愛なのか。亀田興毅は反教育に見えて、実は教育的存在なのか。いや、非教育の結果なのだと思う。
母を失い、父に教育されたもう一人の長男の最近の悲劇を知っている。自宅に放火して3人の命を奪った長男に面会した父親は、「パパも一緒に罪を償う」と話しかけた手記を公表した。ボクサーと医師。2人の父は自らの夢と欲望を叶えるために、エリートになることをそれぞれの長男に強制した。職業教育を教育と取り違えていると責めるのは酷だろう。それ以外に知らなかったというより、父にはできなかったのだ。少年期にもっとも重要な、日々の暮らしそのものが楽しみであるという、主に母の慈愛によってなされる諸々の事物を通じた育みはできないと知っていた。「パパも一緒に罪を償う」「お前の更正を信じている」。もちろん、こんな場合、それ以外の言葉はないのかもしれない。しかし、どこまでいっても子どもの社会性にしか寄り添えない父の教えに、やはり涙する。
(敬称略)
「オヤジのボクシングが世界に通用することを証明できて嬉しい」と亀田興毅は泣きながら叫んだ。そして、「オヤジありがとう!」といい、「お母さん、産んでくれてありがとう」と続けた。公の場で母に呼びかけたのは、たぶんはじめてのことではないか。幼い頃から黙々と働いてきた長男がその責務を果たし、「浪速の闘拳」から等身大の少年に戻った一瞬だった。チンピラスタイルにサングラス、ヤクザもどきの眼飛ばしと粗野な言動で売り出す以前、両親が離婚せずまだ母が家にいた頃の亀田興毅は、前髪を額でそろえたボブカットの女の子のように可愛らしい子どもだった。これで名実ともに日本ボクシング界の長男になった。同時に、一人の少年にこれまで以上の苦難が背負わされた瞬間でもあった。
たがいの脳と内臓を破壊し合うボクシングほど残酷なスポーツはないだろう。しかし、それ以上に残酷なのは、家族の夢と欲望とメディアや興業の貪欲のすべてを選手が一身に引き受け、その栄光が破綻していく姿が衆人に晒されて娯楽になることだ。現在の「亀田バッシング」とは、そうした残酷見世物の第一幕が上がったことを意味する。そして、長男・興毅は、「オヤジのボクシング」であるピーピングトム・ガードに身を固め、ベタ足で接近戦に持ち込むという、軽量級にあるまじき非合理な戦法を続けて、無惨に負けていくだろう。オヤジに殉じ、弟たちの捨て石になるつもりなのだ。それが粗暴な外見と言動に隠された亀田家の家族愛なのか。亀田興毅は反教育に見えて、実は教育的存在なのか。いや、非教育の結果なのだと思う。
母を失い、父に教育されたもう一人の長男の最近の悲劇を知っている。自宅に放火して3人の命を奪った長男に面会した父親は、「パパも一緒に罪を償う」と話しかけた手記を公表した。ボクサーと医師。2人の父は自らの夢と欲望を叶えるために、エリートになることをそれぞれの長男に強制した。職業教育を教育と取り違えていると責めるのは酷だろう。それ以外に知らなかったというより、父にはできなかったのだ。少年期にもっとも重要な、日々の暮らしそのものが楽しみであるという、主に母の慈愛によってなされる諸々の事物を通じた育みはできないと知っていた。「パパも一緒に罪を償う」「お前の更正を信じている」。もちろん、こんな場合、それ以外の言葉はないのかもしれない。しかし、どこまでいっても子どもの社会性にしか寄り添えない父の教えに、やはり涙する。
(敬称略)