これは参った映画だった。タイトルを挙げるには忍びないくらい。
新作で未見は『ダイハード4』『ロッキーファイナル』くらいしかなく、旧作から漁るしかなかったのだ。
オキサイド・バン監督はタイ映画界では有名らしく、CM界の鬼才から映画に進出したそうだ。バンコクの安ホテルに、イギリス人の麻薬ブローカーと深傷を負った女殺し屋、イギリス人の女性心理学者が泊まり合わせ、それにホテルの下働きをする泥棒少年や暗黒街のボスが絡む、という筋立てに惹かれて借りてしまった。
たけし映画のほとんどに感心しない俺だが、やはり、こんな映画を観せられると、たけしはやはり映画作家だと思う。CM界の俊英とかPVの大御所などが映画を作って、惨憺たる出来になるのはよくあることだが、その見本のような映画だった。
シナリオや絵コンテを書け、照明やカメラワークを熟知し、編集や音楽を選ぶことができ、それらスタッフと俳優たちをブッキングできる顔があっても、映画が作れるとは限らない。プロのお友達を集めても、映画ごっこに終わってしまうことがある。同じように、映画づくりのどの分野においてもまったくの素人が、同じく素人の友だちを集めて、まぎれもない映画を作ってしまう場合もある。
この映画の勘違いは、1分のCMを100本作ったら映画になると考えたところだろう。致命的なのは、それに疑問を持ったスタッフが一人もいなかったことだろう。アングルと照明に凝ることが、映画の完成度を高めるわけではない。映画は映像の集積ではない。1秒を10秒に30秒に1分に引き伸ばすことではない。逆ではないか。スローモーション撮影の多用が避けられているのは、そのためだ。それは俳優を、人間を人形と同じように扱うことにほかならない。
人間ではなくやたらカメラが動き、カットバックやスローモーションに忙しい。最小限の科白に留め、思わせぶりなカットを頻繁に挟むくせに、警官に問いつめられて慌てると、心臓のドキドキ音が効果音として使われる。時間軸が過去と未来を行ったり来たりするので、そのたびに壁時計が映される。
劇画のような映画や映画のような劇画はある。これは映画のような劇画をさらに映画にしたようなものだ。それは劇画でも映画でもなく、ただの表現未満、以前でしかないと思う。なまじ絵づくりの技術があるから、よけいに悲惨になる。「スタイリッシュな映像などという惹句が付いたら、迷作だと思うべきなのかもしれない。
バンコクといえば、ポールダンスの水着姿の女に貧しい少年、麻薬取引とギャングという、オリエンタリズムや人種差別意識のほうが、まだ高級に思えるほどの発想の貧しさ。クレジットには、制作側に日本人らしい名前をいくつか見かけた。イギリス・日本・タイの「山ちゃん」の合作のようだ。
襟を立てたポロシャツの首にセーターを巻き、コットンパンツにチノパン、デッキシューズを履いた「業界人・山ちゃん」は、日夜地球征服に暗躍しているのである。
新作で未見は『ダイハード4』『ロッキーファイナル』くらいしかなく、旧作から漁るしかなかったのだ。
オキサイド・バン監督はタイ映画界では有名らしく、CM界の鬼才から映画に進出したそうだ。バンコクの安ホテルに、イギリス人の麻薬ブローカーと深傷を負った女殺し屋、イギリス人の女性心理学者が泊まり合わせ、それにホテルの下働きをする泥棒少年や暗黒街のボスが絡む、という筋立てに惹かれて借りてしまった。
たけし映画のほとんどに感心しない俺だが、やはり、こんな映画を観せられると、たけしはやはり映画作家だと思う。CM界の俊英とかPVの大御所などが映画を作って、惨憺たる出来になるのはよくあることだが、その見本のような映画だった。
シナリオや絵コンテを書け、照明やカメラワークを熟知し、編集や音楽を選ぶことができ、それらスタッフと俳優たちをブッキングできる顔があっても、映画が作れるとは限らない。プロのお友達を集めても、映画ごっこに終わってしまうことがある。同じように、映画づくりのどの分野においてもまったくの素人が、同じく素人の友だちを集めて、まぎれもない映画を作ってしまう場合もある。
この映画の勘違いは、1分のCMを100本作ったら映画になると考えたところだろう。致命的なのは、それに疑問を持ったスタッフが一人もいなかったことだろう。アングルと照明に凝ることが、映画の完成度を高めるわけではない。映画は映像の集積ではない。1秒を10秒に30秒に1分に引き伸ばすことではない。逆ではないか。スローモーション撮影の多用が避けられているのは、そのためだ。それは俳優を、人間を人形と同じように扱うことにほかならない。
人間ではなくやたらカメラが動き、カットバックやスローモーションに忙しい。最小限の科白に留め、思わせぶりなカットを頻繁に挟むくせに、警官に問いつめられて慌てると、心臓のドキドキ音が効果音として使われる。時間軸が過去と未来を行ったり来たりするので、そのたびに壁時計が映される。
劇画のような映画や映画のような劇画はある。これは映画のような劇画をさらに映画にしたようなものだ。それは劇画でも映画でもなく、ただの表現未満、以前でしかないと思う。なまじ絵づくりの技術があるから、よけいに悲惨になる。「スタイリッシュな映像などという惹句が付いたら、迷作だと思うべきなのかもしれない。
バンコクといえば、ポールダンスの水着姿の女に貧しい少年、麻薬取引とギャングという、オリエンタリズムや人種差別意識のほうが、まだ高級に思えるほどの発想の貧しさ。クレジットには、制作側に日本人らしい名前をいくつか見かけた。イギリス・日本・タイの「山ちゃん」の合作のようだ。
襟を立てたポロシャツの首にセーターを巻き、コットンパンツにチノパン、デッキシューズを履いた「業界人・山ちゃん」は、日夜地球征服に暗躍しているのである。