石原新党や日本維新の会、みんなの党が結集すれば第三極になるかもしれない。マスコミは連日、そう囃しています。石原慎太郎は、「維新」や「みん党」などに向けて、「薩長同盟」を持ち出し、政策の差異を乗り越えて結集を呼びかけました。不倶戴天の敵同士が組んだ「薩長同盟」の先例に同心せよというものですが、一方で、「小沢とは組まない」と言明しています。よくわからない「薩長同盟」です。
第三極もあまり耳慣れない言葉ですが、勢力図のことなんですね。与党民主党を第一勢力とし、野党第一党の自民党は第二勢力となり、野党第二党である「国民の生活が第一」が第三勢力になります。政治勢力とは、すなわち数。立ち上がれ日本5、日本維新の会9、みんなの党14に対し、国民の生活が第一50という所属国会議員数をみれば、第三極とは小沢の「国民の生活が第一」以外にありません。
小沢一郎代表の姿が浮かぶ東祥三幹事長の代表質問に、衆院本会議場はヤジ1つ飛ばず静まり返った、なぜか?
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/08411e082832f2895ef17586278e3968
たとえ小沢一郎が嫌いでも、その政策に反対でも、そうした評価とはべつに、国会対策は数の論理が優先されるという一幕ですね。ところが石原は、現在の第三極を無視して、将来の第三極を結集しようというわけです。最近は、「暴走老人」を自称しているようですが、25年間国会議員をし、13年間都知事であった石原が、政治がまず数であることを知らないわけがありません。
とすると、論理的には、「現在の第三極を無視する」か「将来の第三極を結集する」のいずれか、あるいはそのいずれもが嘘という、三択になります。いちばん嘘くさいのは、「将来の第三極を結集する」ではないかと思います。「現在の第三極を無視する」は明らかな嘘ですが、臭くはない。実は小沢と「薩長同盟」を結んで、「嘘も方便」でしたと舌を出すのは政略のひとつです。
80歳にして国会に出戻った目的は、「政界再編」という名目の「政権奪取」に他ならないでしょう。そのもっとも近道は、自民党の別働隊として現在の第三極の切り崩しを手土産に、第二極の首相候補の一人に返り咲くことです。日本維新の会やみんなの党はその踏み台でしかない。しかし、これはあり得ません。国民新党として与党内部にいて、小沢にもパイプを持つ亀井静香と袂を分ったから、実現性にも乏しいといえます。
なにより、「国民の生活が第一」とは、政策が違います。石原新党と違うというより、自民党や民主党と違います。自民党や民主党、石原新党、日本維新の会、みんなの党は、「消費増税」「脱原発反対」「TPP参加」で、差異を乗り越えられますが、「国民の生活が第一」はすべてに反対しています。この3点においては、いまのところ日本共産党や社民党とあまり変わらない主張です。
したがって、こういうわけです。数として第三勢力は「国民の生活が第一」なのですが、民主党も自民党も、「消費増税」「脱原発反対」「TPP参加」では一致しているのですから、政策としての第二極は「国民の生活が第一」なのです。つまり、「第三極」なんて、もとからない。マスコミが囃し、石原がその神輿に乗る振りをしている、「第三極」のそれが正体ではないでしょうか。
くどくてすみませんが、ただ勢力といわず、極というなら、それぞれの極は違う方向を向いていなければなりません。北極と南極があるように。現在、違う方向を向いている有力な勢力は、「国民の生活が第一」のほかに見当たりません。ならば、現在取りざたされている、マスコミ期待の石原新党が主導する「第三極」とは、「第一極」とともに、「第二極」を挟撃するものに違いありません。
もちろん、それもひとつのあり得る政略です。ただし、ありもしない「第三極」の、まだありもしない改革に期待するのは、ただの短絡というものです。小沢もまた、極北をめざすことはないでしょう。石原新党や日本維新の会とも、必要なら「薩長同盟」を組むはずです。そうたやすく、「国民の生活が第一極」が実現するはずがありません。政界の誰よりも第三極を知悉している小沢の道は、迂回路なのです、たぶん。
(敬称略)
第三極もあまり耳慣れない言葉ですが、勢力図のことなんですね。与党民主党を第一勢力とし、野党第一党の自民党は第二勢力となり、野党第二党である「国民の生活が第一」が第三勢力になります。政治勢力とは、すなわち数。立ち上がれ日本5、日本維新の会9、みんなの党14に対し、国民の生活が第一50という所属国会議員数をみれば、第三極とは小沢の「国民の生活が第一」以外にありません。
小沢一郎代表の姿が浮かぶ東祥三幹事長の代表質問に、衆院本会議場はヤジ1つ飛ばず静まり返った、なぜか?
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/08411e082832f2895ef17586278e3968
たとえ小沢一郎が嫌いでも、その政策に反対でも、そうした評価とはべつに、国会対策は数の論理が優先されるという一幕ですね。ところが石原は、現在の第三極を無視して、将来の第三極を結集しようというわけです。最近は、「暴走老人」を自称しているようですが、25年間国会議員をし、13年間都知事であった石原が、政治がまず数であることを知らないわけがありません。
とすると、論理的には、「現在の第三極を無視する」か「将来の第三極を結集する」のいずれか、あるいはそのいずれもが嘘という、三択になります。いちばん嘘くさいのは、「将来の第三極を結集する」ではないかと思います。「現在の第三極を無視する」は明らかな嘘ですが、臭くはない。実は小沢と「薩長同盟」を結んで、「嘘も方便」でしたと舌を出すのは政略のひとつです。
80歳にして国会に出戻った目的は、「政界再編」という名目の「政権奪取」に他ならないでしょう。そのもっとも近道は、自民党の別働隊として現在の第三極の切り崩しを手土産に、第二極の首相候補の一人に返り咲くことです。日本維新の会やみんなの党はその踏み台でしかない。しかし、これはあり得ません。国民新党として与党内部にいて、小沢にもパイプを持つ亀井静香と袂を分ったから、実現性にも乏しいといえます。
なにより、「国民の生活が第一」とは、政策が違います。石原新党と違うというより、自民党や民主党と違います。自民党や民主党、石原新党、日本維新の会、みんなの党は、「消費増税」「脱原発反対」「TPP参加」で、差異を乗り越えられますが、「国民の生活が第一」はすべてに反対しています。この3点においては、いまのところ日本共産党や社民党とあまり変わらない主張です。
したがって、こういうわけです。数として第三勢力は「国民の生活が第一」なのですが、民主党も自民党も、「消費増税」「脱原発反対」「TPP参加」では一致しているのですから、政策としての第二極は「国民の生活が第一」なのです。つまり、「第三極」なんて、もとからない。マスコミが囃し、石原がその神輿に乗る振りをしている、「第三極」のそれが正体ではないでしょうか。
くどくてすみませんが、ただ勢力といわず、極というなら、それぞれの極は違う方向を向いていなければなりません。北極と南極があるように。現在、違う方向を向いている有力な勢力は、「国民の生活が第一」のほかに見当たりません。ならば、現在取りざたされている、マスコミ期待の石原新党が主導する「第三極」とは、「第一極」とともに、「第二極」を挟撃するものに違いありません。
もちろん、それもひとつのあり得る政略です。ただし、ありもしない「第三極」の、まだありもしない改革に期待するのは、ただの短絡というものです。小沢もまた、極北をめざすことはないでしょう。石原新党や日本維新の会とも、必要なら「薩長同盟」を組むはずです。そうたやすく、「国民の生活が第一極」が実現するはずがありません。政界の誰よりも第三極を知悉している小沢の道は、迂回路なのです、たぶん。
(敬称略)