コタツ評論

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日本版ティーパーティを

2012-11-26 23:34:00 | 政治


嘉田新党、生活・みどり・脱原発と連携も 第三極二分化
http://www.asahi.com/politics/update/1126/TKY201211260327.html

滋賀県の嘉田由紀子知事を党首とする「日本未来の党」に、生活(小沢)やみどり(谷岡郁子)、脱原発(河村たかし)らが合流しそうだ。課題はどういう選挙運動が展開できるかだろう。自民党安倍総裁の支持者はネット論壇への投稿やチラシポスティングを手段とした右派「勝手連」を組織しようとしているようだが、日本版ティーパーティはどうだろうか。ネットやご近所でホームパーティを呼びかけ、主婦層を中心に五百円から政治献金を募っていくのだ。初の女性首相誕生をめざし、脱原発を柱に内政の重視を打ち出す。内政と外交、景気対策と緊縮財政、地方と東京、政策の対立を軸とするのではなく、政治の分節化を女性寄りに、ソーサーを傾けるように、流れを溜めてエネルギーにするのだ。おもしろいと思うのだが。

(敬称略)

大根の中華漬け物

2012-11-26 01:55:00 | 食べ物
むかし、俺が青山六本木で鳴らしていた頃(注:1)、六本木交差点近くに、楓林(ふうりん)という中華料理屋がありました。首都高下の六本木通りに面して、俳優座の何軒か隣でした。

明るく広い青山通りにくらべると、首都高速高架下の六本木通りはどこかうす暗く汚れた感じがしたものです(注:2)。当時の六本木交差点の目印は、今はなき誠志堂書店と今もあるアマンドでした(注:3)。飯倉交差点のソ連大使館に突き当たる外苑東通りも、賑やかなのはせいぜいロアビル辺りまで、通行する車は多くとも店舗は閑散としていました。有名なイタリアンレストランのキャンティあたりは寂しげなくらい。

当然、昼食に適した店はそうはありません。俺が愛用していたのは、楓林のランチとアマンドの向かいにあった六本木食堂でした。六本木食堂というのは、そのむかしは外食券食堂だったそうで、焼き魚、煮魚、コロッケなどの皿や、冷や奴や納豆、ほうれん草のおひたしや、惣菜の小鉢をお盆に選び、山盛りのご飯と味噌汁にニンマリする、場所柄としては異色の定食屋でした。

三角巾に白衣姿の健康そうなおばさんから元気な「いらっしゃい!」の声には、労働意欲を励まされるものだが、当時はあまり仕事がなく暇だったから、黙々と箸を運びくわえ楊枝で店を出て行く、タクシーや軽トラックの運転手、工事現場の作業服、営業マンたちの忙し感に、ちょっと入り辛いときもあります。のれん越しに様子をうかがってから、結局は楓林の自動ドアの前に立っていることが多かったものです。それに六本木食堂はけっして安くはなかった(注:4)

楓林はランチタイムでも混んでいることはめったになく、うす暗いけれど広々とした店内を歩き、白いテーブルクロスを敷いた古そうな中国椅子に座ると、ふと昼だか夜だかわからない、無時間のような雰囲気がありました。奥の個室には、楊だか康だかの名前だろう、派手なチェック柄のジャケットを着込んだオ、ーナーらしき中年男が、やはり手持ちぶさたの様子でいました。ようするに、楓林は俺と同じように繁盛していなかった。

ランチメニューには、マーボー豆腐やチンジャオロースーといった定番料理もあるのだが、中華風カレー炒めとか、賄い料理みたいなものを選んでいました。店内の調度は古びれて、絨毯もところどころ擦り切れていました。黒服のウェイターも、ちょっとうらぶれた様子の色黒の中年男が出てくるのだが、ひとり変わった黒服がいました。黒スーツに白ワイシャツ、黒の棒タイを締めて満面の笑みを浮かべて注文を取りに来るのが、ちょっとした楽しみでした。

いや、正直いうと可笑しかった。黒服の一人が、男装したおばさんなのです。おむすび海苔のような髪をのっけて、頬にはうっすら紅を刷いている。小太りの宝塚男役というか、できそこないの京劇風化粧というか。後に漫才の今いくよ・くるよが出てきたとき、思わず膝を打ったものです。あの太った方によく似ていました。はじめてのときは、コップの水を吹いたものです。どうしてあの人はあんな格好をしていたのか、いまでも不思議です。

という話がしたかったのではなくて、この楓林のランチにかならずついていた大根の漬け物が、おかわりを頼みたいほど旨いものでしたと。それがネットにレシピが出ていて、ためしに作ってみたら、なかなかイケたという報告です。この大根の漬け物は、たいていの中華料理屋の定番なのだが、店によって味はかなり違います。いままで食べたなかでは、楓林がいちばん。楓林を百点とすると、自作は六十点くらいですが、山椒の香りはちゃんとするし、箸休めやお茶漬けにはわるくないです。


醤蘿蔔の作り方/レシピ
http://reihow.blog12.fc2.com/blog-entry-289.html

(注:1)
女を啼かせ、男を泣かせたのではなく、腹の虫を鳴かせていた。

(注:2)汚れたは、よごれた、より、けがれた、とルビを振りたい。六本木交差点から外苑東通りを飯倉の交差点まで下るとソ連大使館。飯倉とは反対に乃木坂方向へ向かうと防衛庁。飯倉のソ連大使館前には、右翼の街宣車が押しかけるため、パトカーと機動隊の車が常駐し、いつも10人以上の警察官が立つ異様な雰囲気だった。ソ連大使館近くには、スパイでも出入りしてそうな怪しげなロシア料理屋があり、その裏手には当時としては珍しいSM専用ホテルもあった。飯倉から神谷町に出ると、すぐアメリカ大使館、ホテルオークラ、麻布には韓国大使館。そんな東西冷戦拠点地域の一角が六本木であり、付近の盛り場の代表格は赤坂だった。青山赤坂六本木には、当時も今も「ファッショナブルな街」という印象が私にはない。冷戦時代の汚濁がくすむ、穢れた平和の町という感じだった。

(注:3)アマンドのリング形のシュークリームが六本木名物だった。白い生クリームと黄色いカスタードクリームがダブルクリームで味わえるのは、当時としては珍しかった。赤坂東急ホテル向かいにも、喫茶を併設したアマンドがあったが、ここは外国人売春婦のたまり場だった。

(注:4)煮魚か焼き魚、小鉢をふたつ、ご飯と味噌汁で千円前後、それにコロッケや天ぷらの皿を加えれば、千五百円に近くなる。楓林のランチには、スープとこの大根の漬け物がつき、飲み放題のウーロン茶もあって八百円くらい。ランチタイムは3時まで。どちらがコスパが上か自明。

「むかし」というのは、この頃です。
李博士 ポンチャックディスコ