コタツ評論

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訃報に接して

2018-01-21 21:29:00 | 政治
西部邁が入水自殺したそうだ。そうCATVのNNN24時間ニュースやTBSニュースバードで報じられていた。西部の自殺が悲劇なのか喜劇なのかは知らないが、その自殺報道が喜劇的であることはわかった。

そして、それは西部の人相風体から政治的な立ち位置まで、いくぶんか喜劇的であったことに平仄が合っているように思えて、ほんの少しだが哀しくなった。

何を言っているのかって? いや、ごく表層的なことですよ。「入水」というのは、川や湖や海などに入って自殺することをいう。それに「自殺」を重ねれれば、「馬から落馬」になってしまう。

それ以前に、「にゅうすいじさつ」と読んだ人がかなりいたと思う。この場合、「じゅすい」以外には読まない。

率直にいって、西部邁の人間像やその思想に興味関心を抱いたことは一度もない。むしろ、その「転向」の軌跡をひややかに眺めていた(といっても彼の著作をまとまって読んだ覚えはないのだが)。ただ、少し滑稽味がある容貌や話し方も相まって、人の好さ、つまり愛嬌を感じさせる人だった。

60年安保の全学連指導部の一人であり、中沢新一招聘問題をきっかけに東京大学教授を辞め、大衆社会批判の保守論客として「朝生」などで「活躍」といった、キャッチーなトピックを並べただけでも、時代に先んじているようで、じつは遅れていた鈍足感がつきまとう。

たぶん、「知識人」と自負しながら、メディアから「評論家」として扱われたところから、遅延証明書が発行されるほどの遅れがはっきりしていた。彼の「思想」が吟味されるどころか、その自死すら「にゅうすいじさつ」と読まれる「世間」を生きざるを得なかった、その痛々しい喜劇性に私たちも無縁ではない。

もちろん、ご本人はそんなことは百も承知二百も合点だったのだろうが、知っているということとそこに生きるということはまるで別なことだ。西部に居場所がなかったことは、西部だけのせいだとはとても思えない。

自殺の動機や原因について何も知らないが、経済的な困窮ではなかったことを願っている。願っても詮ないことではあるが。

60年安保の年に流行ったという西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」の動画を上げようかと思ったが、いまさら60年安保でもないだろうし、話好きだけでなく酒好きそうな口元を思い出して、清酒黄桜のCM曲だったこれにした。



(敬称略)