コタツ評論

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ロンゲスト・ヤード

2018-05-25 00:41:00 | 政治


日大アメフト反則事件に気をとられて、モリカケ問題から目を逸らすな。そんな声を聴く。財務省が出した破棄されたはずの交渉文書の内容や野党の追及のリツィートで埋めて、日大の内田井上記者会見を無視するものも少なくない。

アメフト反則事件と安倍内閣の不法不正といったいどちらが重要なのか。そういいたい気持ちや考えをわからないではないが、じつはモリカケ問題の追及より日大アメフト問題のほうが安倍政権にとって痛手となっているかもしれない。

ひとりの学生が自らが悪質なルール違反を犯すにいたった経緯やそのときどきの感情を率直に語ることで、公に事実をあきらかにするという責任のとりかたを示した。その行動が私たちに鮮烈な印象を残した翌日、愚劣きわまる日大の記者会見が開かれた。

事実に関しては、「覚えていない」のに「言ったことはない」と矛盾する記憶を繰り返すあいまいな話をする一方、自らの感情については、加害者となった学生への善意と好意しか語らない。内田監督についてはほとんど卑劣という印象さえ抱けるものだった。

モリカケ問題と根は同じ、似た構図などと蘊蓄を語りたいのではない。もしいま、NHKが安倍政権に関する世論調査をしたなら、その支持率は下げ止まりどころか、かなり不支持が上回るのではないかと夢想するのだ。それくらい、不義不正の隠ぺいに対して新鮮な怒りを国民感情は取り戻しているように思う。

といって、反安倍派は日大アメフト事件に便乗せよ、利用しろというのでもない。

一人の20歳の学生が、伏魔殿といわれる日大で常務理事にまで昇りつめた古狸を追いつめているのだ。彼は自らの罪を明らかにするという正々の旗を掲げ、弁護士同伴とはいえ、たった一人で出向いて堂々の陣を張った。

彼は「勇気ある告発」を行ったのではなく、自らへの理解や同情を求めたのでもなく、反則プレーによってケガをした相手学生へ謝罪するために、自他について知るかぎりの事実を露わにすることを償いとして選んだ。

あわてた彼らは、「ここは負けるが勝ち」くらいに気を取り直して、記者たちを自陣に迎え入れた。彼らは日大という巨大組織を背景にしながら、わずかにも正々堂々たりえず、保身に汲々とした挙句に自滅することになったといえる。結果として、彼は自らを罪から救い出せたし、彼らはそのキャリアを自ら貶めてしまった。

追記(5月27日):ケガをさせられた関西学院大アメフト部のクオーターバックが試合に復帰し、日大の宮川君について尋ねた記者にこう答えている。

「会見で『フットボールする権利ない』って言ってたんですけど、それは違う。フットボールの選手として戻って、グラウンドでルール内でプレーして勝負できたらいいなって思っています」

ルールの中で→正々堂々と→プレーして→勝負する、という順序である。たぶん、彼らも選手時代は宮川君やこのクオーターバックのように、当たり前にそう思っていたはずなのに、いつのまにか、「勝つためには」からはじめる逆順を当たり前に思うようになったのではないか。

「勝つためには」にこだわる病症は、なにも彼らだけのことではないように思う。かといって、誰かに何かに負けないというのでもない。勝負を度外視して、正々の旗を上げ、堂々の陣を張る。正々堂々とはいったいどういうことなのか、つねに自らを考えることかもしれない。

内田監督とは対照的な井上コーチの苦痛に満ちた表情をみていて、「ロンゲストヤード」というR・オルドリッチ監督の傑作アメフト映画を思い出した。

元プロフットボールプレーヤーで花形クオーターバックだったバート・レイノルズが刑務所に収監される。そこでは独裁的な刑務所長が囚人を抑圧的に管理していた。フットボールファンの所長はセミプロに近い看守チームを囚人チームと対戦させ、完膚なきまでに叩きのめすことで、地域社会に刑務所の安全をPRするとともに、囚人に徹底的な敗北感をあじあわせて、より従順にさせようと目論んだ。

ところが、司令塔のバート・レイノルズを得て、素人同然の囚人チームがラフプレーを駆使しながらも善戦する始末。焦った所長は反則攻撃を看守チームに命じる。観客に見えないように、殴る蹴る、倒れているのに踏んづける、すでにボールを投げ終えた後なのに、クオーターバックのバート・レイノルズにタックルをかける。

しかし、囚人チームはその挑発には乗らず、満身創痍になりながらも立ち上がり、ボールを追って懸命に走る。その姿に、看守チームの面々もだんだん自分たちのやっていることに嫌気がさしてきて、恨みがましい目で所長を見上げるようになる。看守チームのキャプテンのエド・ローターが正々堂々と戦う囚人チームをまぶし気にみるとき、井上コーチと同じような表情をしていた。

(止め)