コタツ評論

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そんなに驚くことかい

2018-05-30 20:11:00 | ノンジャンル
日大アメフト 内田前監督、作戦会議で「反則してでも潰せ」
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180530-00000030-jnn-soci

この証言について現役部員はJNNの取材に対し、問題の試合前、反則をした宮川選手に向かって内田前監督が「反則してでも相手のクオーターバックを潰してこい」と指示をしたうえで、「俺が責任をとってやる」と発言したと話しています。

この言葉どおりに内田監督がしていたら、彼らの処分は「除名=事実上の永久追放」ではなく、資格はく奪で済んでいたのではないでしょうか。

日大は何を認め、どこまで譲るか、迅速に線引きすべきでした。「大学を守るために、そうすべきだ。俺が責任をとってやる」と一歩踏み出す人間が一人もいなかったのでしょう。

あえていいますが、問題は反則というルール破りではありません。反則を指示したことを否定し、隠ぺいしたことです。問題は日大アメフト部に蔓延する暴力体質ではありません。それが指導として制度的に行われてきたことです。

ルール破りを絶対しないということはあり得ず、ルールには必ずグレーゾーンがあります。

格闘技やそれに近いアメフトなどの練習や試合に暴力はつきものだし、暴力的な指導(体罰)というのもときにあり得ます。脆弱な自我を乗り越えるために、プレッシャーを与えて追い込み追いつめて、ブレークスルーを待つという抑圧的指導も人によっては有効なのです。

もちろん、理想的には他人にいわれてではなく、自主自発的に行うものですが、そんな立派な人間ばかりではありません。

問題は制度的に反則指示が命じられていたり、不十分な体制や不徹底な取り組みで抑圧的な指導が行われている場合です。報道を読むかぎり、日大ではこれに当たるとしか思えません。

内田監督や井上コーチにも、それぞれ言い分があるでしょうし、何より彼らの指導のおかげもあって、学生日本一になったことを無視することはできません。彼らはそれで勝ってきたのです。

しかし、日大はいうまでもなく高等教育機関であり、建前ではあってもスポーツを通じた教育であるはずで、監督やコーチたちは教育者でもあったわけです。

彼らの教育がいかなるものであったかは、現役部員たちが出した声明文によういに見てとれます。宮川君は率直に自らの知るかぎりの事実を明らかにしたのに、声明文は宮川君が語った「事実」にたいして、何も触れていません。

宮川君とは違い直接の当事者ではない現役部員たちは、一歩踏み込んで内田監督や井上コーチを告発することも、改革案を提示することもできたはずなのに、それもしませんでした。残念ながら、「重い責任」を自覚しているとは読めません。

「これまで私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまった。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることもなく信じきっていました」

声明文中で、もっとも率直に自分たちの気持ちを語った個所だと思います。内田監督や井上コーチたちの指導に疑問を感じず、勝てるならそれでいいとしか考えてこなかったわけです。上に全面的に依存し、自らの考えを捨てて、盲目的に従っていく、それが内田監督や井上コーチたちの教育的成果なのです。

それはけっして異様な教育成果ではなく、多くの企業から認められ高く評価されていることは、体育会出身者が就活において、高いアドバンテージを持つことでよく立証されています。

「上に全面的に依存し、自らの考えを捨てて、盲目的に従っていく」。それが企業や役所が求める優秀な人材であり、即戦力なのです。

また、出世している人の多くはそうであるようにみえます。それは最近の官僚たちの答弁や企業の不正事件の際の役員たちの記者会見などで、私たちは少なからず見聞してきたはずです。

むしろ、佐川さんや柳瀬さんの答弁や記者会見を眺めながら、「さすがに、高級官僚ともなると、上を庇うのも徹底しているな」と感心すらしたのではないでしょうか。

そんな私たちが立ち戻る場所はどこにもなさそうですが、ルールは守ろう、暴力はよくないという、つきつめれば誰もできないお題目を唱えてもあまり意味がなさそうです。

人は誰しも間違いを犯すが、せめて、それを隠ぺいすることはとても悪いことだ、「嘘つき」への嫌悪くらいは共通認識にしたいものです。

(止め)











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