世の中には、真に受けてよい本と真に受けてはならない本がある。この「よりみちパン!セ」シリーズでは、『日本という国』 (小熊 英二)は、真に受けてはならない本である。懐疑的に読まれなければならない。そこに嘘偽りが書かれているからではない。少なくとも著者には、そんなつもりはない。しかし、読み手は、ほんとうにそうか、違った見方はないのか、そう考えながら読まねばならない。また、そう考えつつ読むところに、知性が発動する。読書とは、おおむね、そうしたものだし、だからこそ価値があるといえる。
これに対して、『正しい保健体育』(みうら じゅん)は、真に受けてよい本である。真に受けるとは、そのまま信じるということだ。書いてあることを真実として信じる。たとえば、聖書のような本だ。あり得ない話ばかりだと、聖書を批判的に読む場合もあるだろうが、たいていは無批判に読まれる。聖書の記述に、いちいち突っ込みを入れる人は、聖書を読み通すことはできない。ならば、聖書の世界を理解できない。異質な読書体験といえるが、そこでも知性は発動する。知性とは何であるか、どんなことなのか、そう考える知性である。
『正しい保健体育』(みうら じゅん 理論社)
「正しい保健体育」は、性教育の本である。おもに、中高生の男子向けといってよい。女子はほとんど無視されている。それは、女子だけが集められた特別な授業において、いったい何をしているのかという解説で、著者は「ゴダールの映画を観ているのです」といっていることからも理解できるだろう。つまり、いわゆる性教育を否定した、男子のための性の手ほどき、それが本書の趣旨である。男子の性書であることは、<第1部 保健体育を学習するにあたって>の<1)義務教育の大切さ>に明確に位置づけられている。
本書では中高生を対象に、「正しい保健体育」を学んでいただくわけですが、まず授業には入る前に、ここでは「義務教育」と「性教育」
の関係について理解しておきましょう。
もともと男子は、金玉に支配されるようにできています。
金玉というのが本体で、その着ぐるみの中に全部入っているのが、人間の男なのです。いつのまにか進化した人間は、その「金玉着ぐるみ」からはみ出した部分が大きくなってしまいました。(中略)
ですので、そのはみ出した部分を「義務教育」でうめて、金玉に支配されないようにしているのです。義務教育とは「支配からの卒業」なのです。
中高生の男子にとっては、性をとおして現在・過去・未来を見通すことができる、きわめて有益な「性書」といえる。性への広い視野と深い考察が、童貞期・思春期・壮年期・老年期と段階的に語られ、とくに、童貞期における自分塾の開設の重要さについての指摘は、ほかの追随を許さない説得力がある。中高生の男子はもちろん、中高生の男子の母親にも広く読んでもらいたい良書である。また、加齢臭ただようおじさんやイカくさいおばさんの後生にも、遅すぎたとしても間に合わせの一冊として、一読の価値があろう。
「よりみちパン!セ」シリーズごと引っ越し
http://book.asahi.com/news/TKY201108010093.html
(敬称略)
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