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「仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激」
”東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊の
ロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、
被災者が海岸に「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。”
のだそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110416-OYT1T00585.htm
検索してみたら
このロバート・トス米空軍大佐が横田基地のHPに寄せた文章を見つけました。
以下抜粋です。
”「Thank You」 is not necessary; U.S. forces honored to help reopen Sendai
「ありがとう」などもったいない。
米軍にとって仙台空港の運用再開を支援出来たことは光栄です。
3月16日に初めて仙台空港に到着してこれらの地域を目の当たりにした衝撃は、
映像をはるかに超えていた。
何千もの潰れた車両、折れ曲がった飛行機、根こそぎにされた木々、崩壊した家々、
水、砂、魚貝などが散乱し、機能が停止した空港のイメージは、
フィルムに、そして我々の記憶にも記録された。
米軍が24時間態勢で空港運用を行ないながら物資を配送している間、
空港の日本人は重機等を駆使して懸命に空港の整備と修理を行なった。
4月3日に最後の着陸を行なった時、これがほんの19日前には壊滅的な状態だった
空港かと、我が目を疑った。
それよりもさらに驚いたのは、滑走路に向かって最終アプローチをかけた時だった。
滑走路27番に向けて800メートルほど離れた砂浜の上空を飛行していた時、
ふと下を見るとそこに日本語の"ARIGATO"の文字があるのに気がついた。
津波でなぎ倒された松の木を20~30本使ってかたどったらしい。
我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない。
それどころか、我々が去った後も彼らの戦いは続くのだ。
これまでも彼らは、自らが生き残るための戦いと行方不明者の捜索を行なう中、
復興作業に懸命に取り組んできた。
第353特殊作戦群、米国海兵隊富士機動隊、海兵隊第35兵站連隊および
陸軍第35兵站連隊の全隊員、君たちの仙台空港復興に向けた懸命の作業に、
また日本の人々に復興への勇気を与えてくれたことに感謝する。
日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません。”
http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142
津波に襲われた直後の仙台空港の写真も出てきました。
これは凄い…
そして
”「ありがとう」などもったいない”なんて。
本当に感謝です。
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写真 仙台空港で津波にのみ込まれた車両や軽飛行機
3月11日午後4時1分、共同通信社ヘリから