女性として世界初のエベレスト登頂に成功した田部井淳子氏。
しかも女性としてやはり世界初の、世界7大陸最高峰制覇。
一体どんな家庭に生まれてどんな育ち方をした人なのだろう?と思っていました。
その田部井氏の半生を、直木賞作家唯川恵が書き上げた長編小説。
昭和21年、あの滝桜で有名な福島県三春町の裕福な家に生まれます。
子どもの頃から負けん気で男の子に混じって遊んでいたが
跳び箱は苦手、鉄棒は逆上がりもできず、運動会では選手になれなかったと。
東京の昭和女子大に進むが、田舎出身というコンプレックスもあり、
窮屈な寮生活に馴染めず、神経性胃潰瘍になって休学することに。
これはとても意外でした。
特別な運動神経に、強靭な精神を持った人かと思っていたのに。
しかも女性としてやはり世界初の、世界7大陸最高峰制覇。
一体どんな家庭に生まれてどんな育ち方をした人なのだろう?と思っていました。
その田部井氏の半生を、直木賞作家唯川恵が書き上げた長編小説。
昭和21年、あの滝桜で有名な福島県三春町の裕福な家に生まれます。
子どもの頃から負けん気で男の子に混じって遊んでいたが
跳び箱は苦手、鉄棒は逆上がりもできず、運動会では選手になれなかったと。
東京の昭和女子大に進むが、田舎出身というコンプレックスもあり、
窮屈な寮生活に馴染めず、神経性胃潰瘍になって休学することに。
これはとても意外でした。
特別な運動神経に、強靭な精神を持った人かと思っていたのに。
その彼女を救ったのが、山登りだったというのです。
週末ごとに山に登るようになってどんどん逞しくなり、やがて社会人山岳会に。
まだまだ女性蔑視の強かった時代、特に山は男の世界であったようです。
最初は山岳会に入るのさえままならず、「女のくせに」「女なんかに登れるもんか」と
いう言葉を、事あるごとに投げつけられる。
そんな男の言葉に負けん気を発揮した彼女は女子登攀クラブを設立し、
女だけで1970年アンナプルナIII峰(7555m)、1975年には世界最高峰エベレスト(8848m)に登頂成功。
しかしそのどちらもその偉業への最大の敵は、そそり立つ氷の壁ではなく、
苦しい高山病でも大規模な雪崩でもなく、女子登攀クラブ内の軋轢だったと
いうのだから驚きます。
やっぱり人間関係って難しいんだねえ…
無論、大自然の驚異は凄まじいのですが、それをここに書き出したらキリがないので、
大幅にはしょっての、ザックリとした感想ですが。
プロローグは、晩年の彼女が東日本大震災で被災した、失意の高校生たちを
富士山に連れて行くシーンから始まります。
乳癌、そして癌の再発に追われても前向きだったという彼女。
2016年10月に77歳で亡くなる、その3カ月前まで富士山プロジェクトで
高校生たちを引率していたというのだから驚きます。
エピローグも、富士山で高校生たちに囲まれ、夫君正之氏と優しい会話を交わすところで
終わっていて、ちょっとホッとしました。
淳子のてっぺん https://tinyurl.com/yxh7sxj2
プロローグは、晩年の彼女が東日本大震災で被災した、失意の高校生たちを
富士山に連れて行くシーンから始まります。
乳癌、そして癌の再発に追われても前向きだったという彼女。
2016年10月に77歳で亡くなる、その3カ月前まで富士山プロジェクトで
高校生たちを引率していたというのだから驚きます。
エピローグも、富士山で高校生たちに囲まれ、夫君正之氏と優しい会話を交わすところで
終わっていて、ちょっとホッとしました。
淳子のてっぺん https://tinyurl.com/yxh7sxj2
取り上げましたし、講演会も開き、テレビでも
いろいろ語られましたので、大方知っていたのですが、
女性部員のいろいろな軋轢については初耳です。
本でしか分からない部分がありますね。
すべて書いてあったとは思いますが印象に残ったのが・・・
そう、大学時代最初のことは、あのスケールの大きな田部井さんがと思ってしまったものですが、その後に見つけた山への思いが人間をどんどん大きくして行った源で、それほどの情熱を燃やせるものがあるなんてすごいことだと思います。胃腸は丈夫(食べ胃=田部井)と呼ばれるくらいでお腹を壊したことや痛くなったことなし。風邪もほとんど引いたことなし(最初仕事のない土曜午後から日曜一杯は登山訓練で熱が出たけどそのまま会社へ直行で働く)。お産も直前まで働いていてとても軽かったとか。
癌になってから1915年だったかと思いますが、我が母校で高校生富士山登山についての講演を聞きましたとき、講演料はすべてその費用にとおっしゃっていました。
その後癌闘病記を読みますと、普通は抗癌剤の副作用は吐き気でとても辛いものですが、彼女は2日目に少し気分悪くなる時は必ず出かけて気を紛らわし、むしろしびれがひどかったようですが、それでも山に登り続けました。生涯に199回海外の山に登り、そのうち75の国の最高峰に登っているのですね。2012年に癌になってからも30回も出て、帰った翌日からあちこち出かけ再発後も治療の合間をぬって講演や登山や、自分たちが歌う音楽会を開き、山のごみ拾いのボランティアなども続けてこられた。ご主人運が良かったと書いておられました。本当に素晴らしい旦那様です。
ご存知のことを長々と失礼しました。私も感動しましたのでついつい。
女性同士の人間関係だったというのに、とても驚きました。
誰が悪いという訳でもないのですが
やはり色々な自然条件や体調、現地事情が重なって
衝突が多々起きてしまったようです。
その記憶力に驚きです。
この本、430ページと結構厚いのですけれど
その中のかなりの部分、その軋轢について書かれていました。
それくらい、大変だったのでしょうね。
tonaさまの母校での講演というのは、2015年でしょうか。
だとすると、亡くなられる前の年です。
それも凄い話ですよね。
世の中には信じられないくらいタフな人がいるのだと、つくづく思いました。
共感して頂けて嬉しいです。
田部井淳子さん、偉大な方ですね。
若い頃は田部井さんのことはあまり知らなくて、
女性登山家の代表と言えば、今井道子さんだと思っていました。
40歳を過ぎてから、女性登山家として数々の偉業を
成し遂げた田部井さんが、子供時代は病弱で体育が不得手
だったということや、「どんな山も一歩一歩からなのよ」
「里山も山、森も山」等の名言に勇気づけられ、
私でも山を楽しめるかもしれないと思い、
シニアになってから、少しずつ歩くようになりました。
東日本大震災で被災した、失意の高校生たちを
富士山に連れていったお話は、NHKのドキュメンタリー番組で見ました。
涙が出るほど感激しましたが、見たのは帰らぬ人になってからでした。
もっと早くいろいろなことを知っておきたかったです。
さすが、山歩きのお好きなhiro様はよくご存知ですね。
子どもの頃は体育が苦手、大学に入ってからも鬱病のようになってしまったというのは
本当に意外でした。
スーパーウーマンだと思い込んでいましたので。
癌になってからも被災した高校生たちを毎年富士山に連れて行く姿も素晴らしかったですね。
今井通子さんについての本も読んでみたいと思っています。