Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「そっちは何人出すんだ。覚悟を見せろ」

2011年04月11日 | 社会

昨日、日本が誇る世界のトップバレリーナ吉田都の公演「シンデレラ」を
観て来ました。
華やかな衣装、豪華な舞台装置、そして何よりも英国のロイヤルバレエ団で
22年間に渡ってプリンシパルを努めた都さんのしなやかな妖精のような踊り。
観客席の晴れがましく着飾った女の子たち、興奮したざわめき、甘い香水の匂い。
そういった夢の世界にいっとき浸ることができたのでした。


現実に戻れば、相変わらず瓦礫に埋もれた東北地方、
肉親を探す何万人もの人々、
見通しのつかない原発問題。
昨日の朝日の特集「フクシマ50終わらない苦闘」は
やはり備忘録として残しておきたい。


(抜粋)”いったい終わりは来るのだろうか―。
東京電力福島第一原発で続く過酷な作業は、収束の道筋すら見えないまま1カ月を迎える。「フクシマ50」と海外メディアから称賛された作業員たち。不安と苦悩を背負い、見えない敵と戦い続ける。

「そっちは何人出すんだ。覚悟を見せろ」
地震発生直後、原子炉メーカー「日立製作所」のグループ企業の会議室。福島第一原発で作業にあたる部門の担当者が、技術管理をする社員に詰め寄った。離れた場所から指示を出すのではなく、現場で危機感を共有し、難局を乗り越えようと訴えた。激しい応酬の末、多くの技術系社員が現場に入った。

社員の生命に関わる任務だけに、同社の中堅幹部は「重い決断だった」と振り返る。

東電の協力会社から作業に参加した40代の男性は、「行きたくなかったが、断れば今後の仕事がなくなる」と打ち明ける。日当は1万数千円。「時給数万円で雇われた建設関係の作業員もいるらしいが、日頃から東電と協力関係にある我々は通常の日当で働いている」
一方で「自分たちしかいない」と責任感を持って志願した同僚も多く、「現場には団結感があった」と話す。

ある下請けの工事会社では、高齢の専務や社長たちが作業に名乗り出た。「俺たちだって簡単なケーブルの敷設作業ぐらいはできる」若い作業員の将来を思い、盾になると決意した。”


以前の、一日2食のクラッカーや缶詰の食事、床に雑魚寝といった劣悪な環境は
改善されたようですが、相変わらず死闘が続いているようです。
日本を守ってくれる男たちに感謝です。
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何を信じたらいいのか

2011年04月09日 | 社会
世間知らずの私にとって、ネットを通して様々な情報を得られるのは
非常にありがたい。
時々、情報の海に溺れそうになりますが…

広瀬隆氏のテレビ出演の映像もあるのですね。
(長いので見るのにちょっと覚悟が要りますが)

ニュースの深層  2011年3月17日
http://www.youtube.com/watch?v=veFYCa9nbMY&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=tlgADWX50es&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=hVy0ePmKUJU&feature=related


今の私にとっての唯一の慰めは
60~80年代の核実験による被曝量は、今とは比較にならなかったという説。
”今から50年以上も前の日本は、今よりもっと高い放射性物質に見舞われ、東京や大阪でも
1000倍のプルトニウムが大気中から放出されていたそうです。
東京では、なんと1万倍の放射能が検出されたという情報も。
これは1950年代後半から60年代前半にかけて行われた、アメリカ、ソ連、中国などの
核爆発実験により、北半球全体に放射性物質が拡散していたことが原因。”
http://rocketnews24.com/?p=86666

しかしそれも、だから今はこんなに癌で死ぬ人が増えているのだと言われれば
何も言えませんが…

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御用学者リスト

2011年04月07日 | 社会
2~3日前の朝日の投書欄の
岩手だかの避難所にいるという60代の女性からの投稿を読んでへこみました。
被災地ではみんな助け合ってるような報道がされているけれど
実際はそんな綺麗ごとばかりじゃない、
誰しも自分が一番かわいくて浅ましい姿を何度も見せつけられた、
自分は夫も亡くして身体の調子も悪いけれど
誰も声さえかけてくれない、自分を守るのは自分しかない、というような内容。
無論ある程度は、そういうことも分かっていたつもりですが…

そこへ持ってきて友人が教えてくれた
「御用学者リスト」。
http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/1.html
御用学者というのはWikiによると
”学術的な調査を改竄ないしは解釈し、権力者や統治者、ないし依頼者に
都合の良い結果を導き出す者 ”。

学者の名前なんて一々覚えていないから
澤田哲生氏といわれてもピンと来なかったけれど
(東工大の赤メガネ)で分かりました。
しかしこのリストって
軒並みニュース番組やワイドショーに出てくる学者なんじゃないの?
原発業界癒着マスコミ・ジャーナリストとして、池上彰氏も出ている。

これらを鵜呑みにする気はありませんが
そういえば、かつて有機水銀でもアスベストでも薬害エイズでも
政府はずっと国民を欺き続けていたんだなあ…
もう何を信じていいのかわからない。
何が本当なのか分からないけれど
政府やマスメディアは大本営であるということだけは
忘れてはいけないのかも。

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世界で唯一、救った命のほうが多い軍隊

2011年04月05日 | 社会

”「被災地最前線の真実」自衛隊員たちが見た「地獄」”からの抜粋

"「ある家に入ると、ふすまが床に倒れていました。ひっくり返すと、お婆さんが横たわっている。外傷もなく、眠っているような状態だったので、肩を叩いて声をかけたが応答がない。そこで、両手で顎を挟むようにして、お顔をこちらに向けたんです。すると、口の中から大量の泥が出てきて・・・」
陸上自衛隊東北方面隊(本部・仙台)に所属する井上健一郎さん(仮名。以下同)はそう言って声を詰まらせた。

1週間で約2万人。自衛隊が、東日本大震災で救助した被災者の数である。

最前線に急行した〝世界で唯一、救った命のほうが多い軍隊〟を待っていたのは、
車の中を覗いても玄関を開けても必ず遺体を目にするような、文字通りの地獄だった。

「今回の任務を厭う気持ちはまったくありません。家族も『とにかく、一人でも多く救って』と送り出してくれた。海岸や住宅地を回り、『どなたかいらっしゃいませんか?』と、ひたすら声をかける。棚が倒れていれば、丁寧に起こし、冷蔵庫の中も確認する。何もないことが確認できると赤い布を建物の外壁にかけて、遺体を見つけたら、赤い布の付いた棒を側に刺していく。
生存者の捜索が最優先で、遺体の回収は後回しなのです。捜索活動も2日目に入ると、高ぶっていた気持ちもだいぶ落ちつき、改めて東北の惨状に胸が痛くなりました。見つかるのは遺体ばかり。若い隊員の中には、泣きながら作業している者もいました」"

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2356

08年の四川大地震で、倒壊現場で見つけた母子の遺体を前に整列して
目礼する隊員たちの姿をとらえた報道写真が大きな感動を呼んだという
新聞記事を以前読んだことがあります。
確かに、先に日記に紹介したNYタイムズの写真には
そういった整列して目礼する隊員たちの写真が幾枚もありました。
今この瞬間にも彼らは、荒涼たる瓦礫の中で捜索活動を続けているのでしょうねえ。
この記事はさらに、原発で作業に当たる自衛隊員への差別についても及んでいます。
それは本当にあってはならないことだと思います。
「救った命のほうが多い軍隊」を私たちは誇りに思い、感謝しなければ…

写真はNYタイムズから
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目に涙をためながら笑いかけてくれた

2011年04月04日 | 社会
昨日の日記で取り上げた平井憲夫氏の文章は、本人が書かれた訳ではなく、
平井氏の講演に反原発の人が誇張を加えたいんちきであると糾弾したサイトがあるのです。
”この文章を掲載している反原発の会ができたのは2000年、著者とされる平井は
1997年までに亡くなっているから、このウェブ文書を平井自身が執筆した可能性はない。”
に始まって、信用できないという理由を諸々と。
http://www.faireal.net/dat/d2/d20903.xml

ううう…
一体どっちを信じたらいいの?


閑話休題。
昨日の朝日の日曜版GLOVEで「海外救援隊と日本」という特集を
3ページに渡って組んでいました。



”東日本大震災では、海外から次々に支援の手が差し伸べられた。
20近い国から約1000人の救助隊が入った。生存者救出はならなかったが、
彼らが被災地に残したものはある。”
http://www.globe.asahi.com/feature/110403/index.html


記事のなかで胸に沁みた、各国隊員の言葉。

「入った家で遺体を見つけないとホッとするんだ。ここにいなければ、
どこかで生きているかもしれない。家族ならきっとそう思う。
マスコミは発見した遺体の数を成果のように言うけれど、見つからない日は
気持ちが安らぐよ」米国隊員

「日本の人達は丁寧で、一緒にいると温かかった。
立ち直ろうとする力強さに、感銘を受けた。」米国隊員

「被災地で出会った日本人は、何もかも失ったにかかわらず、
目に涙をためながら笑いかけてくれた。」スイス隊員

「争いもなく、秩序が保たれているのには驚き。トルコでは救援物資が届かない、
電気が復旧しないと人々が騒いで混乱状態のなった。」トルコ隊員

「災害地では治安が悪化することも多い。
ハイチでは銃撃事件まで起きた。
日本のように夜、宿営地から出歩いても何の問題もない場所は珍しい」英国隊員

「日本は中央政府も地方自治体もよく連携していて
こんな大災害の後でも市民が助け合い、とても穏やかだ。」中国隊員

以前、日記に取り上げたドイツ・チーム。
引き返したのは政府公認チームなのか、民間ボランティアなのか
確認できなかったのですが、この記事ではっきり分かりました。
”ドイツ連邦技術救援庁(THW)の救援隊は総勢41人救助犬3匹で来日したが、
原発事故による放射能汚染の影響を懸念し、現地に入らず引き返した”
のだそうです。

それでも千人もの人が駆けつけてくれたのか…
中でも一番多かったのは米国で、救援隊144人救助犬12匹。
しかも「史上最大のトモダチ作戦」に携わるのは3月末現在で米兵約2万人、
艦船19隻、航空機140機なのですと。
ただ感謝のみです。
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国民を舐めているのか!?

2011年04月03日 | 社会
平井憲夫氏の「原発がどんなものか知ってほしい」という文章は
早くからネットに出回っていて、私も目にしたのですが
その時は原発事故がこんなに深刻なものだとはまだ思わなくて
読んでもピンと来なかったのです。
でも今となると、読めば読むほど怖い。
何処を読んでも怖いけれど、例えば11章のこの文章。

”「だれが助けるのか」
 東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。
 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。”
「原発がどんなものか知ってほしい」
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html


”仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時”
まさにこの事態となってしまったではないですか…
原発の20キロ圏には数百〜千の遺体が転がっているという記事もありました。
”死亡後に被ばくの疑い”があるというので
収容することも、検視することもできないという。
地震から3週間がたってしまった今、一体どんなことになっているのか…
まさに地獄絵でしょうね。
http://www.at-s.com/news/detail/100015605.html

そこへ持ってきて
「東電 供給計画に“原発増設” 」という昨日のニュース。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110402/k10015066621000.html

東電、国民を舐めているのか!?
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命を捨てて命を救った殉職者たち

2011年04月02日 | 社会
週刊新潮の最新号の特集。
”「自粛自粛自粛」で日本が滅ばないか!
電車内から中吊り広告が消え、デパートは薄暗く閑古鳥の巣。
花見は中止、繁華街からは人影が消えた。日本中に回った自粛という名の毒薬。”

これ以上、日本が元気をなくしてどうするのだ?と思うのですが…
自粛という言葉は確かにある意味、怖い毒薬なのかもしれない。
東京都の石原慎太郎知事は29日の記者会見で
被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示したのだそうです。
「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と。
そりゃそうなのでしょうが…
我々はもう精一杯、自粛しているのではないか。
節電して募金して、息をひそめるようにして。
それを、上に立つ人からまた言われたくないと思うのです。

それよりも”命を捨てて命を救った「殉職者たち」の物語”という特集に
胸を打たれました。

・拡声器のマイクを握ったままだった消防団の遺体。
・衛星電話を同僚に渡した直後に流された病院事務局長。
・避難誘導で交差点に仁王立ちした警官は迫る津波に動ぜず、
・還暦前の消防団員は、呑まれることを覚悟して半鐘を打ち続けた。

そのうちの一つ目と四つ目だけ、ネットで詳細が見つかったので
ご紹介します。

「高台へ逃げてください」。地震発生の日、住民に拡声器で声を振り絞った
消防団員は津波にのまれた。宮城県名取市の桜井歩さん(46)の最後のアナウンス。
流された消防車は無残に押しつぶされ、団員3人は遺体で見つかったが、
助手席の桜井さんは右手にマイクを握りしめたままだった。
http://unkar.org/r/liveplus/1300689724

東日本大震災で1000人を超える死者・行方不明者を出した岩手県大槌町で、
大槌町消防団第2分団(越田弘分団長、28人)の団員たちは、防潮堤の門扉を閉じ、
住民を避難させようと最後まで海辺にとどまった。
任務を果たした結果、4人が死亡し、7人が行方不明。その中の一人、越田冨士夫さん(57)
は団の象徴である「半鐘」を鳴らし続け、津波にのみ込まれた。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110323k0000e040075000c.html


人の為に命を落としてまで自分の仕事を全うする。
この方々の最後の行為が多くの人を救った事、この方々の事を残された私達は
決して忘れてはいけないと思うのです。


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