最初のポーズから少しずつ動いてみる
昨日の講習でエアコンが一定せず、熱せられたり冷やされたりしたせいか、夕べから腹痛、頭痛で絶不調。そんな中、レポート採点中。
今回の応用ドラマ教育論は以下の通り。
1回 ガイダンス、少し知り合う:「なんでもバスケット」「詩・ふきのとう」
2回 受け止めること:インプロ(即興)。「名前コール」「名前コール・ポーズ」「ナイフとフォーク」「好きな果物(クチパク)→好きな季節(ジェスチャー)→犬派猫派、今度生まれたら男か女か(フィーリング)」「教訓(一人一文をつなげて、最後に教訓をつくる)」
3回 ドラマスキル:「shagidi shagidi shapopo」「ワンタッチ・オブジェ(ペア、対称)」「私は木です」「昔話:浦島太郎」(ホットシーティング・静止画・ソートトラック)「創作:新説浦島太郎」
4回 学びの即興劇:「名前キャッチボール」、幸福について「石川さんの物語」
5回 ドラマ教育:「たけのこニョッキ」「A子さんの決断―仕事を辞めて夫についていくべきか」
6回 模擬裁判「裁判員制度を考える」
7回 レポートについて、「だるまさんがお茶飲んだ」、プレイバック・シアター:「カメラマン」
8回 人間彫刻(まっちゃん)
9回 フォーラムシアター(まっちゃん)
10回 学生の授業:歌「はしれメロス」ドラマ技法をつかって、歌の意味を考え、情感をもって歌う
11回 学生の授業:小学校英語の導入「happy jamjam」をダンスにする
12回 学生の授業:被害者の立場に立ってみよう「米軍基地はどのような被害をもたらすか」
13回 学生の授業:幸福とは何か「自分にとっての幸せ」
14回 学生の授業:社会「TPPについて考える」TPPについて、立場の異なる資料を用意し、それぞれの立場になってみることで考えた
15回 ふりかえり:ドラマ教育をCMにすると
もちろん、合間に講義もあります。
レポートのひとつの項目として、半年間の授業を振り返って何を学んだのかを書くことになっています。
今年は、「最初は嫌だった」と書いている人が何人もいました。
最初の授業で「ふきのとう」という詩を身体で表現してみるということをやってみました。
実は、あまり深く考えず、自分の興味関心からやってしまったのですが、最初の授業にこれはハードルが高すぎました。
2回目から授業に来なくなった人が、何人か出ました。1回目と2回目を逆にすべきでした。
しかし、それを乗り越えて継続すると、
「自分の中で何かが変わり、今まであまり意見を出さなかった自分が積極的に意見をいうようになったり、人見知りをしてグループの人とあまり関われなかった自分が冗談を交わしながらコミュニケーションをとったりするようになった。」
「ドラマ教育は自分にとってとても新鮮でした。自分はどちらかというとシャイでなかなか他の人のように積極性がなかったのですが、自分的に楽しかったです。」
など、自分のコミュニケーションのとり方に気づいたり、変われたりできたようです。
「この授業では、様々な他者になる機会が数多くあった。このような経験をすることで『他者の立場に立って物事を考える』という人間にとって大変重要な要素が形成されるのではないか。」
「グループ活動や発表を見る中で、自然と笑いや『おお!』といった感嘆が出てきた。(略)失敗やうまくできないことがあっても、お互いががんばって表現していることが印象的でした。自分らしくいられる居心地の良いクラスでした。」
「いじめ問題の土壌となるような排除の論理が蔓延している学校という部分社会に対して、演劇という包摂の論理を持ち込む。すると自分とは違う他者への受容と共感が生まれている。(略)最初は気恥ずかしそうにしていたのに、参加する誰もが生き生きと自分自身の感情を自由に表現するようになることに驚いた。」
「ふうみん(私のことです)は、自分の意見をよく主張するが、学生の意見を否定しない。自分の意見を否定されないことが分かってると発言しやすくなる。よく笑って雰囲気をよくしている(あれが工夫なのか素なのか、はっきりとわからないが)」
自分の意見をよく主張すると思われていたのか…。自分では、言いたいことも言えていない感じですが…。でも、「否定しない」というふうには思ってくれている。
よく笑うのは、この授業が好きだから。環境教育論では(問題が笑える状態でないだけに)あまり笑っていない気がしますが、授業をもっと楽しむ必要があるのかもと思いました。