ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

人は人の上に人をつくり、人の下に人をつくりたがるようだ の続き

2021-02-05 08:02:18 | お仕事



先日は「ヒエラルキーがつくられつつある」と書いたけれど、
よくよく考えるに、聞こえていないということに私自身があまり気づいていなかったのかもしれない。

私は注意欠如の傾向がある。
物事に集中してると、音や声が入って来なくなる。
これは生まれつきというか、小学校のころから担任に「情緒不安定」「注意不足」などと注意欠如の傾向を指摘されてきた。
今に始まったことではない。

けれどそれに加えて、聴覚情報処理障害の傾向がでてきたらしい。
飲み会で、周りが騒がしいと相手が何を言っているか分からないということを自覚するようになったのは10年ぐらい前か?
そのころから学生たちとの飲み会がだんだん苦痛になってきていた。
5~6人ぐらいならまだ良いけれど、それ以上でワイワイ飲むのは今は好きではない。

掃除機をかけているとき、水をだして食器を洗っているとき、誰かが何かを言っても音は聞こえても内容が分からない。

今の仕事では、オーブンが横にあって絶えずブーンと音を立てている。
卵を巻くときは集中しているということ、横で音が絶えないということ。
これらによって、私へのことばを私が受け止めなくなっている。

要するに一種の障害なわけで、そうは思わないで端で見ている人にとっては「変な人」に見えるのだろう。
ヒエラルキーをつくらないためにも、これは理解してもらう必要がありそうだ。

それにしても、年をとると体は変化していくなあ。
他人に言われないと本人に自覚が無い。
他人に言われても本人に自覚が無いと、言われないことを言われた気になって、腹が立つ。
年をとると、そういうこともあるんだ。
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